2011年7月30日土曜日

20110729 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」7/28〜参議院議員会館、福島原発行動隊院内集会の報告、他

From満田正 
日付2011年7月28日19:49
件名福島原子炉包囲網(7/28)日誌


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引き続き参議院議員会館講堂で開かれた福島原発行動隊院内集会の報告です。私は始めての参加ですが、もう7回目を数えているようで、参加者も200名余と膨らんでいるようです。現状行動隊には、600名の登録がされているようで、会場の雰囲気も、何時行動を起せるのかと意気盛んな人たちも多いですが、先般、5名が原発施設に入場を果たせたものの、今後の行動方針が今日提起されたものの、道のりは長いものと感じました。
でも、参加者を取り巻く支援者の数と言い、議会内での動きも活発化しているようで、行動隊ー牧山ふみえ参議院議員ー細野防災対策委員長の連携はそれなりに強固になっているようで、議員の参加者も増えているようです。もし、このまま順調に進めば、行動隊の福島原発施設への入場は可能になるのではと期待しています。
ただ、現状は、福島原発は政府・東電の管理下にあって、強い情報管制が敷かれ、人々の疑心暗鬼を増大させるだけですが、果たして、行動隊の活動がその情報管制を緩和する役割を果たせるかについては疑問にも思えますが、現在は、政府・東電以外からの福島原発への接近が必要であると、私は、「福島原子炉包囲網」を提唱していますので、行動のベクトルについて違和感の無いものとして、協働の方針を貫く積りで居ます。
その上に、会場には、元日大全共闘の仲間を初めとした沢山の知り合いを見つけました。シニア世代と言えば、丁度全共闘を闘った世代、志は大きくは変っていないものと思います。帰りは、日大全共闘農獣医学部闘争委員会(農闘委)のメンバーと食事をしながら四方山話に花を咲かせました。行動隊の方針もまずは、仲間作りだと提唱しております。決してリスクの少なくない作業が待っているのですから、一緒に行動する人々がいがみ合っていては、どうにもならない。
今日得た情報の中で、新たなものは、福島原発から4,5kmのところに位置する浪江町の行動隊メンバーの報告では、浪江町に入って作業してきたそうですが、舞に入っている時間は2時間、放射線濃度は21μSvだそうです。この数値は、政府が新たに提示した年間20mSvの許容量を3ヶ月でオーバーする放射線量です。
浪江町の話で言えば、日本やアメリカの放射能汚染物質の受け入れ要請をモンゴル政府が拒否したこともあり、放射線汚染の激しい瓦礫等を浪江町に集積させると言う嘘のような本当の話が、話題になっているようです。浪江町長以下、絶対に1000年後にでも故郷に帰るという強固な意志を逆なでするような動きが水面下で動いているようです。
今日の院内集会でも、瓦礫の捨て場をどうするのかという問題も提起されていますが、この問題は、周辺地域で受け入れるのか、それとも福島地域の人々に犠牲になってもらうのか、新たな処理方法を考えるのか、厳しい選択が迫られています。原子炉の暴走を止めることすら、目処が経っていない今、放射の汚染物資の処理問題は、新たな危機をはらんでいます。
一人一人に突きつけられた問題は様々です。結局は福島原子炉を如何処理するのですかという、人類史上初めての解答を迫られているのです。今も、福島原子炉周辺では原子炉冷却のための必至の努力が続けられています。その努力の維持すら保証できません。作業する人々は全国から動員された原子力技術者も多いようです。動員された技術者の疲労・障害が、福島以外の原子炉での要員不足を誘発したり、いざ事故が起きた時の安全管理や人手不足も心配されています。
福島原子炉包囲網、福島原発行動隊それぞれに、突きつけられた問題は大きいです。
最近、文字化け以外にも次のようなC氏からのコメントがあります
「大事なことが書いてあるのはだいたいわかるのですが、3行目くらいで(気持ちが萎えて)文脈を追えなくなりました。やはり、誤変換の校正も含めて、「読ませよう・・・」という工夫がないと、これだけ字の詰まっている文章は多くの人に読んでもらえません。読み切る人だけでよい、というお考えかもしれませんが、そうだとすればちょっともったいない、と思います。」
全く、この種の感想を持つ人は多いのですが、これは、小学生時代から治らぬ癖で、人に読ませようとすると、文章が書けなくなるので、ご容赦願いたい。私は、オートポイエーシスでいう「生命体の自己記述」を各作業で行っているのですが、生命体は、その自己の及ぶ範囲でしか自己表現できない。逆に、文明社会は自己の及ぶ範囲を超えて、じょぅほうを伝達できるようになったのですが、このギャップはどのようにして埋めることが出来るのか、福島現発事故はその象徴みたいなものですが、誰も責任が取れないという、誰も関与できないという、生命体にとっての危機的状況さえ生まれています。私の「生命体が関与出来る」という範囲の問題は、私が自由に表現できる範囲と理解してくれれば幸いです。
満田

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