2011年7月30日土曜日

20110729 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」7/20〜「K君へ」




From満田正 
日付2011年7月21日21:31
件名 福島原子炉包囲網(7/20)日誌


K君へ

「未曾有(いまがかつてない)」の状況に接した時の人間の心理というものも無視できないのではないか」
今フランス革命でのジャコバン党のギロチン禍を想像します。誰もが信用できなくなると、気の狂った武力集団が台頭します。今の政府や東電は自ら行っている行為がそれに近いことを想像することすら出来ていない。
この現象が昂じると、ヒットラー、ファッシズム、それに共産主義独裁のスターリン、毛沢東になります。それを正しい継承としてきた、人々が私も含めて、現在の生き残りです。これは、人類が懺悔する問題ですが、福島原子炉はそのチャンスをくれたと理解しています。人間の心理は無視できないというか、空恐ろしい事実が待ち構えています。
「多数派同調バイアス」「正常性バイアス」というものがあり、「人はみな自分だけは大丈夫(死なない)」については、心理学者自身のことを説明していると思って間違いないと思いますが、「皆で渡れば、怖くない」は逆心理です。心理学者ほどいい加減な人たちは居ないと私は学生時代から考えています。彼はソウルでの地下火災の時に逃げなかった人々のことから類推しているようですが、逆に圧倒的多数は逃げ惑ったわけです。どちらの行動がより犠牲を少なくしたかは、何とも言えないのでは無いでしょうか。」「正常性バイアス」を持つ人々の行動が事態を解決することすらあります。
福島原子炉の場合には、群集心理が事態を悪化させた。逆に整然と対処した原子炉作業者が存在した。彼らの心理の真相は分りませんが、現状、彼らの行動が当時の原子炉暴発を防いだことは明らかです。これを「正常性バイアス」というのだろうか、全く違うのです。心理学者がこうした状況をさも知ったかぶりに説明する態度こそ、ギロチンものです。
「大変、最悪のことが起きた」という認識は少なからずある(あった)はず」とは逆で、皆さん、放射能の恐ろしさを知らなかった。原子炉の脆弱さも想像できなかった。ところが、強制的に避難させられて、その危険を察知した。また、マスメディアが騒ぐので、もしかしたらとパニックにもなった。これは情報戦争以前の問題で、人々が正確な判断が出来無いことを知りつつ、政府・東電は危険と安全両方を流し続けた。そのために、人々は右往左往した。今でも誰を信じてよいのか、何を信じてよいのかが分かっていない。この状況が所謂、歴史上では一連のジェノサイドを作りだした。
今、情報戦争で問題になっているのは、自分の経験・評価を信じる人々と、政府・東電、マスメディアの情報を信じる人々との戦いです。ただ、自分の経験・評価は余りに小さいし、間違いが多い。これを一歩一歩積み上げる作業を私は情報戦争と言っている。あくまでも、組織は悪・犯罪であり、人々にはそれに反発できる感性・経験があるはずだと期待しているのです。政府・東電が仕掛けている情報戦争は、この人々の感性・経験はいかに早く摘み取れるかを狙っての事です。それほどに政府・東電は酷いことをしてきた。何故、人々が反抗できないかが不思議に思えるほどです。それほどに、彼らの情報物量作戦は徹底しているのです。山村武彦なる心理学者、その片棒を担いでいるようにしか思えない。
「その議論の前に原子炉包囲網は「運動論」ということになるのでしょうが、「運動」から「組織」へと発展する道筋がよく見えない。」と言うので、貴殿は、合いも変わらず、運動・組織至上主義に傾斜せざるを得ないわけですが、福島原子炉包囲網は運動論でも組織論でもありません。福島原子炉に向かうベクトルが、福島原子炉の暴発を防ぐ唯一の手段であると言っているだけの存在です。もし実現出来なければ、福島原子炉の暴発もあり得るし、もしそうしなければ、福島原子炉を包囲する人々を、福島原子炉に近い順にジェノサイドしていくことになるでしょう。そうしたからと言って、ヒットラーや、毛沢東やスターリンが行ったように、直接の悪人は彼ら(政府・東電)であると、無関心を装うことも出来る。ただ、原子炉問題と独裁政治との状況の違いは、独裁問題は高々国境問題である。原子炉問題では、この国境が意味する何も無いと言うことです。「45年前の「べ平連」のような、あるいは最近のアラブにおける「フェイスブック革命」のような状況創出はどうやればできるのか」と言うよりも、彼らこそ、大学闘争を収束させて、大学の根本的な有り方を問うベクトルを分散させた張本人です。当時の日大闘争はその天王山、現在の福島原子炉的ぁ
�如���桙驍ニ考えてよいでしょう。この日大を包囲する波を阻止するために出てきたのは、反原発、反戦、反公害であり、その包囲ベクトルは急速に萎んでしまった。日大闘争は単独でも10万人の学生の動員力であり、全国的には100万人の動員力とも言われた。これ総て、日大闘争に向かう吸引力(ベクトル)である。秦野警視総監によって、香港から呼び戻された警視庁の佐々は、この吸引力を分散させるために、日大芸術、四谷上智大学、そして安田講堂(仮想シンボル)の三段跳びで言うホップ、ステップ、ジャンプという陥落シナリオを企画し、その収束を図った。彼の大学闘争の理解度の低レベルが、もしかしたら、安田講堂の攻防でも、大学闘争のベクトルを守れたかも知れないという歴史的事実はあったにしても、佐々淳行のシナリオが成功したことは、その後の大学闘争の敗北の経過を見れば分る。「連帯を求め孤立を恐れない」は私も気になる言葉ですが、私の友人故河村隆治は敢えて、「連帯を求めず、孤立も恐れず」と関東学院での自分なりの闘いの火蓋を切ったのですが、私にとって残念なのは、彼は私以外には連帯を求め、私には、連帯を求めなかったと言う事実です。��でも私は彼の関東学院からの解雇処分、その解雇撤回裁判闘争を支援はし続けた積りです。問題は、連帯も孤立も心理上の問題、我々は生まれた時も死ぬ時も独りぼっち、自分を信じつつ、共鳴してくれる人を仲間と見なす包容力が必要ではないでしょうか。私にとっても基本的な問題であるので、一寸長くなりました。満田追記、紹介してくれた公衆損害についてコメントしたいのですが、読んでいると、余りに出鱈目で、一寸コメントには時間がかかりそうです。

2011/7/20 満田記)

FromK 
日付2011年7月21日12:51
件名福島原子炉包囲網(7/20)日誌





満田さん

こんにちわ!
いつも原子炉包囲網のご報告ありがとうございます。
18日のいわき市におけるシンポジウムの状況が視覚的にもうかがえるご報告で
した。
現状を「情報戦争」として捉え、その分析と状況把握については全く賛同します。

ここで二つのことを考えました。
一つは、いわゆる「未曾有(いまがかつてない)」の状況に接した時の人間の心
理というものも無視できないのではないか、と思っています。
防災心理の専門家によると、「多数派同調バイアス」「正常性バイアス」という
ものがあり、「人はみな自分だけは大丈夫(死なない)」という無意識の心理が
働くとの解説がありましたが、なるほどと思った次第です。

http://www.bo-sai.co.jp/bias.htm

福島の事故は基本的には、みな「大変、最悪のことが起きた」という認識は少な
からずある(あった)はずですが、情報戦と上記のような心理が働き、現在のよ
うな状況になっているのではないか。
あえて言えば、このような心理をうまく政府東電側に利用されているということ
ではないか。
もう一つはこれは組織論ですが、福島報告でいう「核(コア)」というものに匹
敵するものは何か、ということです。
その議論の前に原子炉包囲網は「運動論」ということになるのでしょうが、「運
動」から「組織」へと発展する道筋がよく見えない。
こんなことを書くとまた満田さんから批判されそうですが(笑)、私自身が頭で
理解しても体が動かない、という状況であり、全く自己批判ものです!
この原因には、上記に掲げた心理状態に私もある程度あるのかもしれません。
45年前の「べ平連」のような、あるいは最近のアラブにおける「フェイスブッ
ク革命」のような状況創出はどうやればできるのか。
いずれにせよ、「連帯を求め孤立を恐れない」(古くてすみません!)自分自身
を作り上げたいと思います。

散文乱文で済みませんが、今後ともご指導よろしくお願いします。

※本ばかり読んで行動しないので恥ずかしいのですが、現在の状況は、カミュの
書いた「ペスト」という小説に瓜二つです!

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