2010年2月12日金曜日

2009.11.28. 杉並清掃工場見学後の感慨と仕切り直し










セミナーの翌日2009.11.28. 杉並清掃工場を見学しました。その時友人たちに送った感想です。
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今日の午後杉並清掃工場を見学してきました。ショックでした。百聞は一見にしかずだな、と。今日受けたこの衝撃が冷めないうちに感じたこと書かせてください。

大型焼却炉による焼却路線の問題は、私には仕切り直しだという感じです。一からやり直しが必要と感じました。理由は後で。





自宅から自転車で工場迄15分(でした)。工場に隣接する高井戸区民センターは馴染みの場所で、体育館や図書館を利用したり、温水プールも含めセンターの冷暖房など、焼却場の排熱利用でまかなわれているということは知ってました。なのにこの杉並清掃工場の管理事務所の玄関をくぐったのは初めて。工場建物の敷地は広く(約1万2千坪)、工場側には用事がないので建物をちゃんと眺めたのも初めて。高い煙突だけは遠くからでも見えるのでしょっちゅう見てましたが、、、。(築27年、都内21カ所にある清掃工場で最も古い。今思うとサーマルリサイクルモデル一号だったとわかった)。

井之頭線高井戸駅から2分に位置するこの土地にごみ工場建設計画が持ち上がったのは1966年。現在は住宅地ですが当時まだ畑。計画発表後8年間もめにもめ、地主が住民と組んで反対団を組織、国を訴えるなど、当事増え続ける東京のごみに業を煮やした美濃部都知事の「ごみ戦争」宣言や話し合い申込、東京地裁からの和解勧告、勧告受け入れなど、紆余曲折を経て工場が完成したのは計画発表から16年後の1982年末でした。(当事大変だって話はしょっちゅう聞いていたので、今日もらってきた冊子でことの経緯をおさらいし感無量)。

ショックだったのは、巨大な設備(これは旧型施設だから今の設備はきっと超のつく大型なんだと想像)がコンピューターで集中管理され整然と24時間操業されていて事務所内、工場内すべて清潔、整理整頓行き届き、説明丁寧、質問にも即座に答えてくれたこと。扱われているものがごみでなければ、食品工場や製缶工場(仕事関係でよく行った)と同じ雰囲気。安心安全な施設で皆さんのごみを衛生的に効率よく処理しているので心配ないですよということをフレンドリーな形でわざとらしくなく伝えています。(八丈島がなかったら、なんて安心なんでしょうと思って帰って来たなと見学中に何度も思いました)。

毎月第4土曜日が無料見学日で2日前迄に申込すれば定員50人に空きがあれば即予約できます。今日の人数は全10名、夫婦1組、子ども連れ家族2組、単独参加者私を含め3名。時間は午後1:30-3:00。説明と案内をしてくれたのは中野さん。30代前半の誠実そうな男性。もう一人彼より年上の男性がフォロー役でいました。(見学者は少ないようで昨年は年間3,623人)。

工場を見せてくれる前に会議室で説明。この工場が可燃ごみ(プラごみ混合)用焼却施設だということ(不燃ごみや粗大ごみの処理設備、残灰の溶融設備はない)。焼却炉(3基、常時2基使用、1基は予備)、ごみの処理量(600トン/日)、処理の流れ、焼却の仕組み、燃料(炉の立ち上げ時だけ都市ガス使用、ごみが燃え始めればごみ自体が燃料になり燃えてくれる)、発生熱の利用と余った電力は売却、排気ガスの無害化(集塵機のフィルターを見せてくれる。また+化学処理工程により「ダイオキシンなどの有害物質はこうして処理されすべて無害化されているので安全です」とさらっと説明)、焼却後の灰の溶融スラブ化(実際のスラブや溶融灰から作られた敷石ブロックなどを見せてくれる)などなどすべてを網羅、模擬パネルで工場作動中の様子を見せながらなのでとにかくわかりやすい。質問も気軽にできそれに答えながらの進行。その後DVD映像でさらに東京23区全体のごみ処理がどう行われているかを見せてくれます(ここで不燃ごみ処理場、粗大ごみ処理場、埋め立て地の様子もわかる)。10分間のトイレ休憩後、実際の工場見学。

工場内は各主要工程をガラスばりにしてありそれに沿って見学通路が作られています。ごみ運搬車(積載量2トンだが、一回に平均1トン強を運んでくる)の入り口から、搬入ごみの計量、バンカ(巨大なごみ貯蔵槽)、クレーンによるごみの撹拌(生ゴミと紙などの乾燥ごみをよく混ぜる)、ホッパーへの投入、焼却炉外側、廃熱利用タービン、焼却後の残灰槽(残灰はダークグレーの小麦粉っていう感じ)、最後が中央制御室(壁一面モニターやパネル、点滅ランプなどずらり。炉内のモニターで燃え具合を見ながら二人が遠隔操作運転。制御室のスタッフは設備メーカーの人たち)。最後に質疑応答、お土産にからすよけの黄色いごみ袋とボールペンをもらって解散。

昨日のセミナー(注1)から知らないことがいっぱいでてきたのですが、その一つが東京23区の可燃ゴミを全量焼却できるようになったのは1997年、今から12年前だそうです。(1997年は旧厚生省から「広域化計画」の通知が出された年なのよ)。高度経済成長期にごみは増え続け、焼却工場を建てるも追いつかず可燃ゴミを中心に処理しても処理しきれず、埋め立て地を次々に満杯にし続けていた。23区ごみ量のピークはバブル時代の1989年490万トン、以後は減り続け、2007年にはピーク時の34%減の322万トンに。ちなみに、日本全国のごみ量(23区分も含む)は1990年に5000万トン(23区の約10倍)、以後も少しづつ増え続け1999年に5,500万トン、現在は5000万トン台。

仕切り直しと思ったのは、東京都のごみの処理実態を映像で見たり、工場をうろついて、焼却は危険だ危険だって叫んでもその声はすぐに消されちゃうだろうなって感じました。排ガスの危険性の問題、溶融灰から作るスラブやコンクリートブロックの危険性の問題にしても、東京23区清掃一部事務組合「一組」は先手先手でデータ(危険物質、基準値下回っていることを確認済み)を用意して配布している。玄関口を入ったロビーボードには、昨日セミナーでも配られた各有害物質の基準値を下回る数値グラフが貼付けてある。今日自由に持って帰っていい資料にもそうしたデータから、処理費用や運営費用、その内訳なども全部書いてある。

燃やしちゃうと出るのは灰とガス、灰すら見た目には無害に見えるし、ガスは目に見えないからよけいわかりにくい。この危険性が目に見えない形のものをどう安全に処理していくかが問題なんだけど、ごみ処理事業関係者が現在及び今後の可能な技術で最善を尽くしてくれているのかこれからもそうなのか(見学してるとそう思っちゃうし思いたくなっちゃう)、それとも山本さんや青木さんの本(注2)に記されているように一見安全安心だけど実態は非常に危険なのか、素人には判断ができない。だから、非常に冷静にごみ処理事業関係者たちと真のコミュニケーションをもてないと刻々の「事実」をつかめないと思った。それと別にごみ行政の方針を例えば「ごみゼロ」に転換するためにはみなさんがブログで書いているように、元を絞らないと、欲望コントロールも含め、生産者に消費後の製品の責任迄追わせる仕組みなどに手をつけないとだめなんだな〜と、東京都の粗大ごみ処理場の映像を見てて思った。とにかくすごい量だと。それを中間処理で扱える形にして、どうしてもダメなのは埋め立て地へ。埋め立て地ですら昔の夢の島とはほど遠い無菌施設のように一見すると見えちゃうのです。巨大事業でありよくここまで一見クリーンに見えるシステムを組んだなと感心してしまったのです。

長々とほんとうにすんません。いや〜、まいりました。
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注1)セミナー:
http://gomitanteidan.blogspot.com/2010/02/blog-post_553.html


注2)山本さんや青木さんの本:






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杉並清掃工場だより(PDFファイル)
 
第33号(平成23年3月31日)(498KB)
第32号(平成22年12月28日)(638KB)
第31号(平成22年9月30日)(623KB)
第30号(平成22年3月19日)(489KB)
第29号(平成21年12月28日)(549KB)
第28号(平成21年9月18日)(555KB)

杉並清掃工場の概要

杉並清掃工場環境報告書2010(PDFファイル1.9MB)

杉並清掃工場運営協議会


杉並清掃工場建替計画がまとまりました。












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