柳川 喜郎 (2009/07)
価格: ¥ 2,205 |
産廃とかごみ関係の本は読むまでは気が重い。
ごみ問題はなんだか気持ちが悪いとかこわいとか漠然と感じているからかもしれない。
数ヶ月前に買っておいて、エピローグだけ読みこの本はすごいと思ったけど、そのままにしておいた。昨日時間ができたので一気に読んだ。この本はやっぱりすごい!!
人口2万人の岐阜県御嵩町、木曽川水源地に隣接した谷に、日本一の産廃処分場の建設計画が町民の与り知らぬところで議会決定されていた。町長にぜひなって欲しいと担ぎ出されて当選してしまった著者柳川喜郎氏は元NHKの海外特派員を務めたジャーナリスト、社会部・政治部記者の経験をもつ。1995年に町長に当選後、町民の間で「ものいえば唇寒し」となっていた「寿和工業による産廃処分場建設計画」が浮上、これと正面から関わらざるを得なくなる。岐阜県に処分場計画を一時凍結するよう要望書を送り、ねじり鉢巻で過去の資料を調べ始め、対策に追われる。その一年後に暴漢に襲われ、金属棒でめった打ちにされ、命を危ぶまれたが九死に一生を得る。但し、14年経つ今も犯人はつかまっていない。この事件がきっかけとなり御嵩町の産廃処分場問題がジャーナリストで大きく取り扱われるようになるが、計画中止にはなかなか至らない。処分場を作ろうとした寿和工業とはどんな会社か、岐阜県からの処分場建設に向けて御嵩町にかけられ続けた圧力、行政の前例踏襲主義、町と県と国の主従関係(役人たちの意識)、産廃ビジネスに群がる魑魅魍魎たち、役に立たない国の関係者、10人から始った御嵩町での町民勉強会、「なにがあっても情報公開と説明責任だけは」、などなど、全ページ、一行一句中身充実、貴重情報の山。そして感動します。
この本は柳川さんが町長を退任した2年後、2009年7月に出版された。本のあとがきを以下に引用:
柳川さんは町長就任後、処分場建設計画について「疑問点があれば、文書にして提出してもらいたい」、と岐阜県からいわれる。「1996年1月末、のちに『疑問と懸念』と呼ばれる質問状を県に提出した。多忙な中「重い資料を自宅のアパートに持ち帰り、夜更けまで書類の読みこなしと『疑問と懸念』の執筆に当たった....書きすすむうちに、数多くの不条理に気づいて、怒りと興奮で寝付きが悪い夜がしばしばあった」。「この『疑念と懸念』は産廃問題のあり方について御嵩町の立場にまったく理解を示さない岐阜県に対して論争を挑む”不逞な”挑戦状でもあった」。http://www.town.mitake.gifu.jp/sanpai/html/zenbun.htmlその後質問状は追加され、県からの回答とあわせた5回にわたる問答の全文は御嵩町のHPで公開されている。(「「襲われてー産廃の闇、自治の光」第5章から)
産業廃棄物処理施設建設問題 - 0:42
岐阜県知事からのコメント · 県への質問(全文 3回目) · 県への意見書 · 御嵩町 における産業廃棄物処理場、及び産業廃棄物処理場計画について(照会) · 御嵩町 における産業廃棄物処理場、及び産業廃棄物処理場計画について(回答) ...
www.town.mitake.gifu.jp/sanpai/frame.html - キャッシ
この本は柳川さんが町長を退任した2年後、2009年7月に出版された。本のあとがきを以下に引用:
「すでに老境に至ってからの町長就任であり、いわばリサイクル町長だったので、はじめからもう失うものはない、と腹をくくっていた。とくに正義感が強かったわけではない。勇気があったわけでもない。ただ、道理に反することを見て見ぬふりはできなかっただけだ。
田舎の町長の卒業論文のつもりで書いたが、卒業後二年たっての出し遅れの証文みたいになってしまった。
長い間、待ちつづけてくれた岩波書店の坂巻克巳さんの存在がなければ、この本は日の目を見なかっただろう。厚く感謝したい。町長在任中、ときに落ち込むこともあったが、町内外のとても多くの人たちから激励をいただいた。いちいちお会いして御礼をいうべきだが、ここで感謝の言葉を述べたい。
二〇〇九年夏 柳川喜郎」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動: ナビゲーション, 検索. 柳川 喜郎(やながわ よしろう、1933年(昭和8年)1月 - )は日本の政治家。元岐阜県可児郡御嵩町長。元NHK解説委員。義父は初代御嵩町長の伊崎隆三。 ...
人物 - 略歴 - 業績 - 産業廃棄物処理場問題
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