2012年3月27日火曜日

20120324 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」久ノ浜の除染活動(1)..ところが、今回の久ノ浜には、若者の姿が無くなっていた。

From  満田正
日付      20112012年3月24日
Re:     [tamakannet:151] 久ノ浜の除染活動(1)

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福島県、いわき市久ノ浜は、その北側に火力発電所やJブリッジがある広野町の南側である。
要するに、第1原子炉から、30km以上も離れた場所である。
ただ、3.11東日本大震災の時には、地震津波と火事とが重なり、最も酷い状況であった。
その久ノ浜には、最初「結」なる若者グループが3.11を契機に結成されて、町の片づけを始めた。
それは、6月のことだろうか。
その若者グループ「結」の要請で、原発行動隊有志がお手伝いすることになった。
大人たちが呆然としている中、しかもがれきだけの町の中で、若者は町の復興を求めて立ち上がった。

子供も居なくなった、町を、もう一度賑やかにしようと立ち上がった。
とにかく、花火大会でも行えば、子供達も帰ってくるに違いないと。
行動隊有志の活動は、花火大会となる会場の草刈だった。
立派な広場も草茫々で、人の入る余地も無い。
数人の人手ではどうしようも無い自然の力だ。
行動隊50人は、大きな力となった。
1日で、広場の草木は刈られて、立派な花火会場が出来た。
若者たちは、花火大会には是非来て欲しいと別れの挨拶だった。
そんな若者達にとって、日常的な片付けはもっともっと過酷だったようだ。
片付けている途中に行方不明の人が見つかることもある。
まだまだ、何人もの行方不明者が居ると言っていた。
道路を這うように追いかけてくる火の塊の状況は、昨日のように脳裏を掠める。
津波に追われたトラウマと同じに火の塊に追われるトラウマがあった。
そんな中でも、彼らの楽しみは落書きすることだった。
人の住まなくなった家々にそれぞれに絵を描いた。
最初は、3.11以前はそうだったように、こわごわと描いたようだ。
それが、死んだ町に息が吹き返したように思えるようになった。
若者達が、そう思っただけだったものが、大人たちも共感するようになった。
我も我もと若者に絵をお願いするようになった。
町中が若者の絵で溢れた。
そんな若者の勢いが我々を呼び寄せた。
ところが、今回の久ノ浜には、若者の姿が無くなっていた。
作業内容も瓦礫処理から、除染処理と変っていた。
私は鈍感にもその変化を最初意識しなかった。
福島原子炉包囲網は福島原発に焦点を当てるための呼びかけである。
ところが2.18,19と久ノ浜に行ったのは除染活動である。
11月に行ったのも、区長さんの家とその周りの除染活動だ。
今回の除染活動は、岬学園という身障者と共にパンを作っていた1200坪ある敷地の除染活動だった。
要するに3.11から1年を経て、私を取り巻く環境が大きく変った。
瓦礫処理は除染処理である。
そして、原発周辺には、子供達は居なくなった。
置いてけぼりを食ったように大人たちが、呆然と過ごすようになった。
行動隊の有志は、モニタリングを行い、除染可能性を地域に訴えるようになった。
それには、まだまだ、説得性が無い。
まだまだ、方針も定まるわけではない。
それは行動隊だけでなく、あらゆる地域で、あらゆるグループが動き出している。
方針も定まらない中で、どーんとお金がばら撒かれた。
そのお金の取り合いも始まっているようだ。
とにかく、放射能という化け物が襲ってきたのである。
しかも、その化け物の本当の素性は分らない。
それを知るのは、数年どころではない数十年もかかるであろう。
この見えざる敵に、人々は右往左往しているのである。
見ても居ないのに多くの人々が勝手な発言を繰り返す。
でも人々が実際に見たときには遅いのである。
地震・津波と同じで、怖い怖いと思っても、実際に来て見ないとその怖さが分らない。
放射能という化け物は、色も臭いも、痛みさえ感じないので、しかも、誰を襲うのかも分らない。
襲われた人が運が悪いとしか言いようが無い。
でも襲われた人は悲惨である。
病弱になることもあれば、死ぬこともある。
生れてくる子供には、あらゆる奇形が伴うことも多い。
ただ、それはずい分と先の話である。
未来に向かって虎視眈々と我々を狙って来る敵である。
そんな中で、除染活動は気休めなのかも知れない。
それでも人々はそうせざるを得ない。
原子炉周辺だけが危ないのではない。
ほぼ、関東・東北全域に敵の気配がする。
敵を見分けることも難しい。
敵の存在は見分けることが出来るが、それが自分を襲うのかどうかも分からない。
運任せである。
除染活動は、それでも行わなければならない。
我々を襲う敵を弱らせるためである。
いざ襲ってきた時のために、心身の準備をしておくためである。
除染活動には、その敵を見つけるための放射能測定は必要である。
とにかく、何処に敵が潜んでいるのか分らない。
敵は姿を隠しているので、しかも空気のように我々の身の周りを取り巻いている。
そのための敵探し(放射能観測)は欠かせない。
実は、広野町より南にある久ノ浜は安全圏だと錯覚していた。
敵の姿が弱いという錯覚である。
ところが、今となっては、事故原発から遠い近いは関係ない。
観測しなければ分らないのである。
そして観測し分ったこと、久ノ浜に居る敵は実に大きかった。
青梅や多摩地域で放射線量で0.2μSv/hだと大変な敵だと騒いでいるが、久ノ浜の敵は0.40.5μSbもあるでっかいやつである。
これは建物周辺、見えるところでの線量であるが、これが林と建物対面とかの見えないところに行くと2.03.0μSv/hにまで、敵が強力になる。
ところで、このようにでっかいやつだと、取り扱いの方法が無い。
除染対象には不向きである。
さらに大物は原子炉そのものだ。
彼らはエーリアンのようにその子供を吐き散らす。
エーリアンと同じに原子炉から発生する放射性物質は新たに子供を生むようなことはない。
その代わりに寿命は極めて長い。
この放射能という敵は、全く新しい敵である。
人類が作り出したと言って、全く、人類が理解できていない敵である。
今は、敵の姿が現れるのを待つしかない。
実は、広島・長崎で原爆が投下された時、ビキニ海域ではアメリカが、クリスマス島ではイギリスが、ソビエトや中国が核実験を行い、原子力潜水艦、原子力空母が開発された時には、それなりの姿を知っていた。
我々はその時には、戦争と同じに知らぬぞんぜぬを貫いた。
しかも原発の時には諸手を上げて歓迎する人も多かった。
これらの一連の原子力が生み出した近代兵器と近代ツールは、その利用の代償に放射能を出し続ける。
我々は、この近代兵器ととツールを余りにぞんざいに扱った。
その結果、彼らが発生させる放射能災渦に汲々としている。
この敵を見失うところであった。
3.11はこのときの存在を改めてクローズアップした。
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