From 満田正
日付 20112012年3月26日
Re: [tamakannet:152]南相馬の現状(1)
たまかんねっとの皆様
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なお、このメール配信、私の判断で、勝手に送らせて頂いています。
配信不要であれば、連絡くださるようにお願いします。
東京から行った、12名のメンバーを迎えてくれたのは、小沢さん?という南相馬では有名な方だった。
とにかく、ひまわり農園を立ち上げた御仁である。
24日夜11時出発7時間近くバスに乗って、25日朝6時半ごろにつき、朝は早いので、目的地は2、3千の仮説住宅、人々は睡眠中のこともあろうと、南相馬を案内してもらう方針となった。
最初に行ったのは、海辺の突堤、コンクリートがめくりあがった状態はその津波の凄さを表している。
説明によると、この辺りは、サーフィンの世界大会も開かれたという素晴らしい浜辺だった。
突堤の影には、数百件の民家があったが、津波が見えなかったというか、全部津波に飲まれたようだ。
土地の古い人は山の上にしか家を建てなかったのだがと、小沢さんは、地域の伝承の尊さを言いたいようだった。
そこら一体には、見渡す限り、砂地が広がっていた。
片付けられた後なのであろう。
遠くの山まで、砂また砂である。
昨年3.11の日にこの津波の勢いを見ようと、小高い山に登っていた村人を含む3人の人の内一人が、山から押し返してきた津波に飲まれて浚われていったと小沢さんは言った。
ここに暮らしていた人々は殆んど津波の怖さを知らないし、体験したことも無い。
でも、ここの津波は、15,6mと小さい方だった。
あのいわき市四倉で聞いた時のように、津波によるテトラポットの流出は無い。
テトラポットは整然と浜辺に並んでいた。
既に、この地域でも私の持っていったガイガーカウンターRADEXは0.2μSv/h前後を示していた。
今度は、福島原子炉から20km境界線に向かうというので、私の心は躍った。
村中を過ぎるごとにRADEXの音が煩くなった。
山一つ超えた、隣集落には、凄まじいがれきの山である。
最初に見えたものは数千台のがれきと化した自動車自動車である。
整然と並べられた自動車の姿は余りに惨めである。
小沢さんは、自動車の運転席で死んでいた人々も多かったと悲しみを語った。
今後、どのように片付けるかは、方針も立てられないようだ。
次に見えたのは、コンクリートアスファルトの小山である。
あれほどまでもよくも積み上げたものだと。
隣にも木片の小山がある。その隣にもコンクリートアスファルトの山がある。
周辺一体はやはり、砂浜のような広がりである。
既に山間でもあるので、人家もあるが、全体としては、狭い雰囲気である。
だから、津波の勢いも増したものと思う。
小沢さんは、ここではテトラポットが流れ着いたと言う。
テトラポットは海岸防備のエースだった。
それは、どのような津波にも耐ええるコンクリートの複雑な形に整形した塊である。
それが、今回の津波では見事にも食いちぎられた。
この地域のがれきの処理では困っているようだったが、南相馬市の方針は出ていない。
どうやら、がれきの処理を巡る市長反市長の対立があるようだ。
小沢さんは、がれきは山の上の運動場に運べばという言う意見のようだ。
今は、桜井市長の主張は南相馬市民は帰還して欲しいというのだが、小沢さんは、退避を願っているようだ。
このような意見の対立は、市長反市長派だけではなさそうだ。
放射線量の仕分けがズタズタに地域を分け、人々の心を裂いている。
放射線の怖さ以上に、人々の心の中にあってはならない亀裂が走っている。
その地域を過ぎると、さらにRADEXの音は0.3μSv/hを過ぎてけたたましい。
山間には、飲み水の貯水ダムがある。
水の線量は小さいので、飲んでいる人が居るとも言う。
既にその周囲は0.4μSv/hを過ぎているというのに、水の線量は低いらしい。
ただ、沈殿した砂、川底や湖底には大量のセシュームが溜まっているのではと推察できる。
ダムから流れる川は、その昔、鮎も、わかさぎも取れて、絶好の釣り場であったようだ。
もちろん、ここは計画避難地域、家はあるが、人が住んでいる気配はない。
山間の一角に黒ずんだ畑があった。
遠くにあるので、その広さは分らないが、畑を耕した後のようだ。
ただ、この耕作はイノシシの仕業で、ミミズを食った後のようである。
イノシシは確実に増えているようだが、捕れてもその肉が食えるわけではない。
さらに進むと、既に遠くに見える高速道路も通行禁止区域だと言う。
そして山の向こうは有名な飯舘村である。
やがて、侵入禁止の立て看板が見えた。
RADEXは一桁上がり、2.0μSv/h前後を指している。
小沢さんは、ここから侵入してさらに山奥にも入るようだ。
この風景はいわき市広野町Jブリッジから、山奥に入ろうとしたのと同じ風景である。
どちらも山奥に分け入り、頂上に立つと、福島原子炉第1が見えるというものだ。
そこを引き返す途中、小沢さんは2人の老人の話をしてくれた。
両方とも一旦は別の土地に避難していたが、最近帰ってきていた。
1人は、子猫を4匹飼っていたお爺さん、帰宅しやがて亡くなられた。
もう1人はお婆さん、家に帰ってきて、ずっと日向ぼっこを繰り返していたが、やがて亡くなられた。
2人とも元気な人だったのだがと、ため息をついた。
この地域にも頑張って滞在している人々も居る。
小沢さんもその1人である。
水は谷間の水、野菜等は自分で作ったものを食べている人も居る。
ただ、飲み水だけは外から運んできたいと小沢さんは言った。
確かに資源物資は有り余るほど来るようだ。
人々は支援物資慣れをしている。
肉は無いのかというほどの情けないこともある。
ただ、飲み水だけは不足しているというものだ。
こんなそんなでバスが仮設住宅に着いたのは8時前後である。
朝食として、握り飯とサンドイッチが配給されて、バスの中で食べた。
私は、その日がひまわり農園種まき式、セレモニーがあるとだけは聞いていたが、何も知識も無く、バスに乗った。
セレモニーというので、東京からは仲間が4人参加した。
その1人は、技術仲間、福島原子炉をどうにかしたいと熱情を持った人である。
もう1人は、柳生武芸帳とかの劇画の著作者で、武術を披露することになっていた。
もう1人は清家みえこというシンガーソングライターである。
それ以外は知らない。
24人乗りバスで、12人の乗り合いは実に贅沢である。
このひまわり農園種まき式の先行きが心配だった。
心配は予想通りに、我々の目的は先ずはビニールハウスの中の草取りが目的だったようだ。
道具は揃っていても人が揃っていない。
半反(150坪)ほどのビニールハウスであるが、要するに百姓もしたことの無い、数人が草取りを命ぜられたのだ。
まさかまさかの作業である。
どうやら、川の扇状地で石ころも多く、草の勢いも良い。
冬支度の私などは、蒸し暑いビニールハウスの中で順番にワイシャツ姿のストリップである。
どうもここの指導者は農業の何かが分かっていないらしい。
与えられた道具で、草取りを始めるのだが、余りに厳しい。
周りは、草の葉っぱだけを剥いで次に進む。
百姓は草の根を剥がさないとその後が怖いことを知っている。
私は、一生懸命なる自分を見ながら、持病の尿管結石の再発が心配になった。
でも休みなしの朝8時からの作業も11時半までである。
途中から、ビニールハウスの中が一杯になるほどの人々が集まった。
賑やかだが、指示も多いのだが、作業内容は変わらない。
土は益々踏み固められ、作業は益々困難が増す。
最後は私も諦めるようになった。
とにかく、その場を終えることである。
11過ぎからは、セレモニーの準備も始まった。
午前は、風も無く、のどかな田園風景であったが、午後にかけて突風が吹き始めた。
あらゆるものが飛びまくる。
野外でもバザーも、もうひとつあるテントの中に避難である。
それでもセレモニーは突風の中での野外である。
にわか作りの舞台で挨拶が始まった。
ここで、私は、区長の話に潤いを得た。
何処からとなく、200人以上の人々が集まっていた。
区長は「しっかりと市民は団結し、政府・東電にこの責任を取らせる」と明言したことだ。
私は初めて南相馬市民の心意気を見た。
その後、東京から来たMiaという姉妹グループの演奏があった。
イタリア系アメリカ人を父に持つハーフで、寒い中、突風の中、何か勢いを感じた。
次に武術の公開演技、久しぶりの日本の心に打たれた。
次は清家みえこさんのギター引きながらの歌、田舎の人には受けたようだ。
室内であれば、もっと盛り上がったセレモニーも、野外では、実に厳しい。
村人が「風の強いを知らなかったのかな」と言っていたがそのとおりである。
数千と並ぶ仮設住宅は余りに寂しい悲哀が漂う。
人通りの少ない中でのセレモニー、良くあるライブのようには行かない。
広々とした相馬の大地に、人々が、緑の田畑が、広がるのは何時のことだろうかと。--------------------------------------
<東日本大震災>農作業で心ケア 南相馬に農園 (毎日新聞) - Yahoo ...
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