From: 満田正
日付: 2012年6月5日
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ずるずると時間が経つばかりで、原発の全体はどうなっていくのだろうかと気を揉む。
それでも、地元、現場は原子炉安定に向けた努力が日夜続けられているので、それを邪魔するような行為は慎むべきである。
として、この原発に対置する方法としての問題は3つある。
1つは、現場での直接的な安定化廃炉作業である。
福島原発行動隊は、この安定化・廃炉作業を高年齢であるシニア世代が行いたいと結成された。
よくよく考えれば、現場作業はそう甘くは無い。
放射性問題はクリア出きるのだが、技術問題、体力問題で果たしてどの程度役立つのか、自分を見つめるといささか、頼りがいが無い。
現役であるためには、日頃の技術・体力継続が必要である。
2つ目は、地元支援である。
とにかく、地元は原発誘致の総責任者であったので、その意思決定は蔑ろに出来ない。政府・東電は金を積み上げて、地元人々の意思を作り上げた。それは、一時の潤沢な生活保障ではあったのであるが、今は、避難民生活。10万規模の避難民が発生していること自体、まさに福島原子炉周辺は戦場である。この緊張感はただ事ではないのであるが、今まさに、その緊張が解けようとしている。1つは、政府・東電がそれを仕掛けているのだが、それを受けて立つ住民側の気力が問題である。地元住民の気力を維持するには、とにかく周囲の支援である。
3つ目は、放射能との対決である。
放射能は見えない、臭わない、触れないの無い無いづくしであるが、少なくともほぼ全国に広がっている放射能という敵に対する対決は、人類が遭遇したかってない規模での戦争である。伝染病や自然災害にはそれなりの解決をなしてきた人類だが、放射能は自ら作りあげながら、自らが制御できないというジレンマに立たされている。もちろん、国家間の戦争・国内戦争(金融利害問題)もその解決をなしているわけではない。もう一つ宿命的に担わされている廃棄物処理問題もしかりである。放射能問題、金融利害、廃棄物問題は、人類が最終的に辿りついた、最大負の文明遺産である。とにかく、福島原子炉からばら撒かれた放射線は、規模といい、その影響といい、対決相手としては、充分である。
闘う姿勢こそ、今問われる。
南相馬にはひまわり種まき隊という荒地にひまわりを植えて、人々の気力の充実と地震・津波・放射能で荒地と化し放置されている農地の復活、言うなれば、福島の復興を願う素晴らしい集団がある。
6月1,2と東京からバス仕立てで、そのお手伝いに赴いた。
50人乗りのバスに、17人と贅沢な旅行のように見えて、実は車中泊、高放射線量地域のバスでの巡回・作業という極めて、時代先取りの1泊1日作業というもっとも効率的なサポート事業である。いわゆるアフリカの自然動物園でのバス観光を想像する。何時か、地球が放射能で滅びる最後には、こうした光景が予想される。ただ、効率が良いことは人がこき使われるという意味で、結構疲れた1日であった。
ともあれ、心配された雨も降らず、逆に蒸し暑いかんかん日和での農作業(ひまわり・菜種・ケナフの種まき、除草)は、車中泊というハンディもあって、結構全員顎が出た感じである。
既に、3.25の今年第1回ひまわり種まき祭で、その全体像は掴んでいたものだが、今回はバスで移動を余儀なくされる三箇所の種まきと除草作業、移動することはその分疲労が伴う。その上に、今回のメーンは今まで立ち入り禁止地域であった小高地区の見学を兼ねていた。原発から20km圏内に位置することで、機械的に立ち入りを禁止されていたのではあるが、線量が低いということで昼間の立ち寄り程度の立ち入りが許可されるようになった。
既に、ここでも述べたことだが、立ち入り許可が出たときに、立ち入った人が1週間もせぬうちに病気でなくなったと聞く。もちろん、放射能の直接影響であることは無いのだが、それほどに1年を経ても全然片付けられていない、津波の被害の大きさは気も狂うばかりの景色である。その母親は、その息子の死を追うようになくなったという。
これは、20km圏内というだけで機械的に立ち入り禁止となった、小高地区の悲劇であるし、逆に、その周辺20km圏外は、避難命令も出ないにも関わらず、放射線量が0.23μSv/h以上の地域が殆んどというとてつもない悲劇が進行しているのである。この20km圏外に避難したのはこの子高地区の人々であるが、言うなれば、放射線低線量地域から高線量地域へ避難したことになる。
もちろん、20km圏内の避難はこうした放射線量の問題よりは、原子炉暴発の危険を予想してのものであり、逆にそうであるならば、避難命令が200km圏内に対してあるべきであると考えるのだが、そうではなかった。これは、政府の放射線被害に対する見識の甘さから来るもので、爆発だけが事故であって、放射線拡散が事故ではないと考えたからに他ならない。
そんなことを住民は自分達がモルモット代わりに人体実験されていると不満をぶちまける。この声が政府・東電に届いていないのかいないのか(原文ママ)、返事は未だに無いようである。
一部に、これは桜井市長の商工業者の圧力を受けての勝手な方針でもあるようである。住民が強力な行政のリーダシップが無い中では危険があっても避難する動きはし難い。それを良いことに、住民を犠牲にしての政府・東電との交渉が行われている。先日の東京新聞(6月1日)で「人口約六万五千人の南相馬市でも、同予算の二百七十七億円を大きく上回る四百億円で、竹中工務店を中心とした共同企業体(JV)に一括発注した。自治体の担当者にとってはとてつもなく大きな事業規模。端数のない数字からは、本当にきちんと見積もりをしたのか疑問もわいてくる」と報じている。
いわゆる、徐染作業という名目での、予算の大判振る舞いが行われているのである。
これは、原発誘致にも優る住民を犠牲にしての政策である。原発誘致よりも酷いのは、住民の人体実験を前提としての話である。原発誘致には、住民側に危険信号が知らされ難い状況があった。現在は、確実に放射能被害が予知されている事態である。例えば、チェルノブイリ事故後25年間で、100万人の死者が出たとの医者の調査研究も発表されている。もちろん、原子炉の再暴発の可能性は大きく報じられている。にもかかわらず、徐染作業を前提にこの放射線量の高い地域に住むことを要請している。
桜井市長は、住民にとっては悪魔に近い存在に写るだろう。それを支える商工業者の罪も大きい。
ひまわり種まきプロジェクトは、こうした住民が追いこめられた状況の改善のための苦肉の策として、直には退避して欲しいという意見を述べつつ、ひまわりの作付けという協働事業を行っている。もちろん、ひまわりの徐染効果やひまわりの種による油生産も期待してのことである。
今回は、ひまわりよりも成長の著しい、ケナフという植物の種まきも行った。ケナフは4000年前のエジブトで栽培されて、布製品として利用されていたそうである。その証拠にはケナフの繊維で作られた布がミイラには被せてあるそうだ。ひまわりは3,4ヶ月で精々1mの背丈だが、ケナフは5,6ヶ月で3m以上の背丈になる。温暖化防止でブームにもなったが、何故か現在栽培されている地域は少ない。今回は、福島の徐染作業に役立てないかの実験である。しかもその花は綺麗だし、繊維を取り出せば布や紙にも利用でき、炭も作れる。
今回のイベントの最大の感動は霊山太鼓の演奏である。大太鼓と2つの小太鼓、笛と鐘のアンサンブルは通常の太鼓演奏のアンサンブルであるが、大太鼓の演奏は素晴らしいの一言である。とにかく桐の木で作られた撥を振るうのだが、桐の木は軽いので、勢い腕の振りを太鼓に伝える動作が見事である。すなわち、その撥は20cmも無いほど短く、見た目では腕で太鼓を打つようである。腕の振りは、目まぐるしく変化する。それでいて、太鼓の音の迫力は、野外での演奏にも関わらず、会場に響き渡る。
途中に、桐の木の破片が飛んだのは、その腕の振りの鋭さを物語る。私の想像する撥は、樫の木のような堅い木であるので、桐の木とは流石に驚いた。最後には、住民が演奏にあわせて、盆踊りを楽しんだのも印象的である。昔、祭りは日頃の鬱憤、辛さを吹き飛ばすために仕組まれたものである。その1つの流れがようやく出来たようにも感じられた。その上で、霊山太鼓は隣の市、伊達市からの遠征である。共に、放射線の高線量で苦しむ人々が手を繋ぐ一瞬でもあった。伊達市の霊山保存会も様々の地域からの出演だそうである。演奏を代表しての女性リーダは、「心がひとつになった」と声を高めた。それは伊達市と南相馬市の連携を示したものだ。
確かに、両市とも東京では信じられないような高線量地域である。誰もがそれを知りつつなかなか近づこうとしない地域である。行動隊のあるメンバーは高線量地域でも1.0μSv/hの多いいわき市と1.0以上が多い南相馬市と比べて、「天国と地獄」と比ゆした。
最後に、こうした高線量を公式に報道しないことをひまわり種まき隊の代表小澤氏は非難する。
3.11以来、放射線の大気汚染、土壌汚染、植物汚染を系統的に測定している代表にとっては、その事実を公表できない市役所、国、報道機関への怒りは尽きない。放射線汚染での対処方法としては先ずは観測ありきの代表の姿勢については、私は諸手を上げて賛同する。その上での、瓦礫処理である。その上での医療検査である。精度の良い、時系列に添っての観測値こそ、今南相馬での必須事項である。
最後に、10km圏付近で牛が遠くで草を食んでいた。それは田作がはられて立ち入り禁止区域であるが、その入口には、牛の骸骨が並べてあり、「牛の薬殺を止めよ」との看板が印象的であった。
写真は中海と化している南相馬市小高地区
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