2011年9月26日月曜日

20110926 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」9/26〜いわき市知人からのメール、オームサリン事件、9.11そして3.11

From  満田正
日付  20119261:40
件名  Re: [tamakannet:97] 福島包囲網日誌(9/18

たまかんねっとの皆様
たまかんねっと外の皆様には、BCCでお送りしています。
なお、このメール配信、私の判断で、勝手に送らせて頂いています。
配信不要であれば、連絡くださるようにお願いします。
また、このメーリングリスト記事は、「ごみ探偵団(http://gomitanteidan.blogspot.com)にも記載されています。
満田様
たまかんねっと配信メールをお送りいただきましてありがとうございます
私の住まいは福島県いわき市で、地震、津波で会社、工場、施設、自宅が多大な被害を受けました、それに追い討ちをかけるように原発爆発による放射能汚染など、一時は、ほとんどの市民が県外に避難しました、私は避難せず、復興を目指してガレキのかたずけを、一人で行っておりましたが、私の大学の友人や満田さんなど多数の方がかけさんじてくれて雨の中、泥だらけになって何日も手伝ってくれました、水もなく、食料もなく、ガソリンもなく大変なとき東京から物資を運んできていただき有難うございました。また時々いわき市や関東の放射能の測定値の情報等いち早く提供していただき参考になります、また青梅市からの懐中電灯や横浜市若手グループからの福島物産の支援など感謝しております、かたずけ復興に数ヶ月かかりましたが、まだ放射能汚染が解決せず、子供たちは、いわきにもどらず北は北海道、南は沖縄まで避難しております、3月11日以前は、いわき市は温暖で魚がおいしく、山の幸も豊富で東北の湘南とまで呼ばれましたが、現在は大変厳しい状況です、しかし前を向いて以前のいわき市、福島にもどす決意ですのでよろしくご支援お願い申し上げます。
たまかんねっと配信メールは大変楽しみにしております、毎日が復興のための業務がかなり残っておりメールを見るのは夜中になってしまいますが、時間が空いたとき何日も見させていただいております、また貴重な情報や皆様の支援には、大変勇気ずけられます。今後ともよろしくお願い申し上げます
 福島県いわき市 I
1995.3.20は地下鉄サリン事件が起きた日で、6300人もの死傷者が出た。オーム真理教という宗教団体が起したものだが、その計画、その準備から見て、よくもその程度に収まったものと感心したものだ。今度は2011.3.11、実は3.20が核爆発という大きな事故になっている。それは単なる日にち合わせと言うよりも、どちらも、官僚・警察国家の土台が揺るいだ証であるからだ。死傷者の数は、その100倍を上まわる。
1995320は警察責任を追求するだけの余裕はあったが、今度2011.3.20は警察を含め、政府・東電・大企業の責任問題へと広がりを見せている。しかし、責任を追求するだけでは何らの解決もしない。人々は警察を支え、政府・東電、大企業を支えてきたのであるから、自らの責任の所在を問うことなく、未来は見えない。それどころが、現状のままでは、見えないどころか、更なる大きな事件が待ち構えるのである。
私はサリン事件の時には大手町で、大手IT企業の同志Nと出勤前朝の勉強会を行っていた。私たちが勉強会を終えて会社に戻ると第一報が入った。第一報というよりは、事務連絡で「自分は大丈夫です。仕事先にもうすぐ着きます」という今は亡き天才児STからの電話だった。その後、社員が出社してきてサリン事件が話題になった。
同志Nが言うには、もし勉強会がなければ、同時刻に地下鉄霞ヶ関を通過する電車に乗っていて、事件に遭遇していたかも知れない。勉強会で命を救われたようなものだと後で語っていた。天才児STも実は、自分が間一髪事件を免れたと私に告げたかったのかも知れない。そうした人々が数十万と居る。事件の大きさはそれなりに人々に疑似体験を共有させる。
今回の2011.3.11は地震・津波の被害を合わせると数十万人もの死傷者を出しながら、こうした疑似体験を含めると、すっぽりと東日本を包み込み、数千万人もの疑似体験を齎している。そうした人々が事態を記述・会話を始めたものだから、事態は深刻且つ期待の持てるものだ。深刻なのは政府東電のみならず、警察・自衛隊を頂点とする官僚、そして大企業である。期待が持てるとすれば、人々が疑似体験を通じて、将来想定されるより大きなリスクへの警戒心を高めたことだ。勿論、警戒心だけではどうにもならない。現在のリスクの根本を問い直しながら、その根拠を断つための行動を起すことである。
このように考えて居る時に、次のようなブログの紹介が飛び込んできた。
IT は西海岸シリコンバレーを中心に開発されてきたが、その軸は東に移動している。技術を開発する段階から、それを利用するステージに移行したためだ。IT 普及につれて、テクノロジーからアプリケーションやコンテンツに話題が移る。ビジネスや金融やアートの集積地にITのパワーが移行するのは、ITが進化し ていることを示す。浸透し、利用されることで、新たな技術に対する要求が起こり、そのサイクルが次の進化を促す。
そのニューヨークは、夢想だにしない災厄に見舞われた。2001911日。その日の早朝も私はクルマでニューヨークに向かっていた。マンハッタンに入る橋で、ここから先には進めないと告げられ事件を知った。30分はやければ、テロの現場あたりにいたことになる。それからカーラジオで状況を聞きながらボストンに戻り、テレビで画面を見た。覚悟をして見たのだが、それでも衝撃は大きかった。アメリカは時間帯からしてリアルタイムに映像を見た人はそう多くない。日本の方がリアルタイム性が高く、ショックが強かったかもしれない。
当初、テレビは衝突やビル崩壊の模様を繰り返した。大勢の人がビデオカメラを携える時代になり、いくつもの角度からの生々しいアマチュア映像が流される ことになった。戦闘が始まってからは、闇夜の閃光が繰り返し放映された。戦場では、暗視カメラとウェアラブル・コンピュータを装備した兵士が敵地の映像を 衛星経由で指令本部に伝えていた。メディアの技術は、事態に深く加担する。世界貿易センター崩壊の数日後、メディアラボで全員集会が開かれた。身の回りの人たちは、惨禍に巻き込まれた知人が多いこともあり、衝撃は大きい。押し黙る。泣く。こぶしを握りしめる。天を仰ぐ。祈る。歌う。抱きあう。
この事態をどうとらえるべきか。テロの防止や世界平和、あるいは多元社会の構築に対しデジタル技術が果たす役割は何か。身近なコミュニティをケアすることや、情報を共有することの大切さは不変か。
この報告は2001.9.11の1人の数少ない直接体験の報告である。しかし、テレビは衝突やビル崩壊の模様を伝え、全米3億人近い人々に伝わり、結局アメリカのみならず、65億人もの地球上の人々にその映像が伝わり、その疑似体験を利用して、アメリカのテロ戦争が仕掛けられた。結局、クエート、イラク、アフガンと中東戦争が仕掛けられて、数百万人もの死傷者を出すことになった。
2011.3.11福島原子炉事故は、同じスタイルで、地球を駆け巡っている。その処理次第では、将来の更なる大きなリスクを仕掛けることになる。それを仕掛けるのは、結局アメリカだろうとも予測が出来るのである。案の定新首相になった野田は、アメリカに訪問し、福島原子炉が今なお、日本列島への巨大なリスクを齎す可能性を持っているにも関わらず、原子炉輸出・原子炉推進の声明を出した。
私が言いたいのは、日本人が、第二次大戦に犯した罪以上の罪を今また犯そうとしていることである。第二次大戦の時もそうであったが、国内で、情報統制と、節約・倹約、大量の武器弾薬を海外に運び込み、戦争を仕掛けて行った。と同じく、現在の日本でも、情報統制が進み、節電・節エネルギー、大量の原子炉輸出を行おうとしている。その根拠は、第二次大戦の時には、資源・エネルギーの獲得であり、現在も資源・エネルギーの獲得を目指している。ただ、現象として違うのは、第二次大戦の時には、強制兵役義務に対して、現在は強制的な放射能被爆体験ということである。
第二次大戦の時には、反戦・平和運動が盛り上がるも強制的に抑圧されて行ったが、現在、反原発・脱原発運動も盛り上がりを見せつつも、その先が見えない。両者は、体制・政治への人々の反発を組織しているのであるが、両者に共通する強制された兵役の拒否、放射能被爆についての拒否には繋がっていないのである。自らを安全圏に置いた反対運動は何時か抑圧に屈する。不退転の位置での戦いは重要である。福島原子炉包囲網はその1つの行動提起である。
満田


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