【福島第1原発危機の社会科学的な側面】
(なぜ、原子炉が旧い技術のままだったのか?)今、東京駅構内の第14ホームから第19ホームにかけて1964年開業当時の0系車両が6本並んでいる風景を想像してほしい。こうした風景こそが、福島第1原発の風景といってもよい。もちろん、実際の東京駅構内は、第5代目の700系車両(1999年運転開始)か、第6代目のN700系車両(2007年運転開始)が普通に目にする車両である。0系車両は、1999年にすでに引退した。
福島第1原発の各原子炉の運転開始時期は以下の通りである。
1号炉 71年3月 出力 46.0万kw
2号炉 74年7月 出力 78.4万kw
3号炉 76年3月 出力 78.4万kw
4号炉 78年10月 出力 78.4万kw
5号炉 78年4月 出力 78.4万kw
6号炉 79年10月 出力110.0万kw
(中略)
電力会社において、こうした旧施設の更新が起きなかった大きな理由は、原発施設については、施設そのものの減価償却は無税で認められていたものの、原子炉の解体(廃炉)については無税の引当が長らく許されていなかったからである。そうなった事情については、財政当局が電力会社に対する事実上の法人税減税に躊躇したからだという指摘もある。1989年になってはじめて廃炉費用の引当についても認められるようになった。
今般の危機のさまざまな段階においても、東電の経営者が廃炉に対して、廃炉アレルギーといってもよい強い抵抗を示したのも、廃炉を実施するだけの財務的裏付けが東電にまだまだ十分でないことが頭をよぎったのかもしれない。
海外メディアが中心として伝えるところであるが、GE社のMark 1の本質的な欠陥を踏まえると、11日に危機が発覚した時点で、東電が廃炉を前提に迅速な対応(強力な冷却材や海水の投入など)を行えば、少なくとも原子炉については、早い段階で低温停止を迎えることができたという指摘もある。
(なぜ、貯蔵プールが上層階に張り付けられていたのか?)今般の危機では、使用済み核燃料の貯蔵プールでも、高温化して水素が発するという深刻なトラブルが生じ、1号炉、2号炉、4号炉の建屋が爆発で損壊した。正確な事情は事故調査の結果を待たなければならないが、貯蔵プールの水位が低下して燃料棒が外気にさらされ高温となったのは、地震と津波のショックで水が溢れたか、その直後に亀裂が入って水が漏れたかしたことが原因のようである。
(後略)ーーーーーーー
Makoto Saito, Faculty of Economics, Hitotsubashi University
【研究と社会のはざまにあって】
「2011年3月11日の東北・北関東における大震に際して」
いわゆる風評と専門家の責任について
福島第一原発危機の社会科学的な側面
現在の福島第一原発現場に対する行動に関する政府の説明責任について
福島第1原発の危機について
東北と北関東の復興について
Twitterによる情報発信を中止した理由について
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