2010年8月15日日曜日

ミヒャエル・エンデ「世界の問題の根源は<お金>つまり貨幣システムにある」

(追記)
☆「「エンデの遺言」河邑厚徳+グループ現代
松岡正剛の千夜千冊 1378夜 2010・08・16

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松岡正剛さんの千夜千冊では、ここしばらく貨幣、マネー、お金についての本を取り上げています。参考にしています。

松岡さん最新記事は「モモ」のミヒャエル・エンデについて。

☆「モモ」ミヒャエル・エンデ~松岡正剛の千夜千冊 2010.08.13
http://www.honza.jp/senya/1377


ミヒャエル・エンデが「世界の問題の根源は<お金>つまり貨幣システムにあると考えていた」、と最初に教えてくれたのは、友人みかんさん。以下は昨年のブログ記事からのエンデ部分抜粋です。みかんさんに感謝。
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出典:「ラブリー脳でハピーライフ: ゴミ問題を考える 4 経済システムの限界」
http://blogs.yahoo.co.jp/delightful_mikan/56175788.html

......上部略......

お金には二種類のお金があります。

パン屋でパンを買う代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金です。どちらもお金ですが、種類がまったく違います。

金融危機を引き起こしたお金は、後者のお金です。コンピュータ上の数字となって、実体はありません。実体のないまま、膨らみ続けて、パン屋で使われるお金と折り合いがつかなくなって、崩壊しました。

まるで、錬金術のようにお金がお金を生む状況は、人類や地球にとって幸せをもらたらすものなのでしょうか?

「モモ」や「はてしない物語」の作者ミヒャエル・エンデは、そのことを考えつづけました。

「エンデの遺言(河邑厚徳 グループ現代 著 NHK出版 2000年)」は、NHKの取材班がエンデを取材した一本のテープから作った番組「エンデの遺言」を書籍化したものです。

ミヒャエル・エンデは、世界の問題の根源は<お金>つまり貨幣システムにあると考えました。

「どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことのすべて、つまり個人の価値観から世界観まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです。」(エンデの遺言 14頁より)

「私が考えるのは、もう一度、貨幣を実際になされた仕事やものと対応する価値として位置づけるべきだということです。そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなくてはならないかを皆が真剣に考えなければならないでしょう。人類がこの惑星の上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだ、と私は思っています。非良心的な行動が褒美を受け、良心的に仕事をすると経済的に破綻するのが今の経済システムです。」(エンデの遺言 5頁6頁より)

エンデは、シュタイナーやシルビオ・ゲゼルをはじめとする多くの思想家や経済学者の本を精読し、根源からお金と人間の関係性というものを問い続けました。エンデは「非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのがいまの経済システムです。この経済システムは、それ自体が非論理的です。」といい、それに変わるシステムとして、ゲゼルの劣化する貨幣システムを提案しています。

普通、お金にはプラスの利子がつくものですが、お金が劣化するというのは、マイナスの利子がつくということです。ちょっと不思議な感じがするのですが、実際に、今でも、地域通貨として、世界や日本でも<劣化する貨幣>はつかわれています。<劣化する貨幣>という理論自体はよくわからなくても、実際に取り組まれた事例から、プラスの利子は、短期的な利益を追求するのに比べて、マイナスの利子は、長期的な利益をもたらすものに投資するという現象がおこることが理解できます。

現代社会は、短期的な利益の追求の果てに、地球環境も人間のこころも疲弊して崩壊寸前です。エンデは、お金というものから世界と人間を見つめましたが、経済システムを変えるだけででなく、人間のこころの成長もなければ、明るい未来はないと考えていたようです。

「エンデの遺言」には、環境問題や貧困問題を解決する手だてやヒントがいっぱいつまっています。わたしは、とても、よい影響を受けました。

ゴミ問題の本を読むと、あまりにひどい話に、なんだか、絶望的な気持ちになりますが、エンデのいうような経済システムになれば、毒をまきちらすゴミ焼却場も必要ないということが誰の目にも自明になるはずです。

しかし、劣化する貨幣の話をする経済学者も政治家もいまのところ見当たりません。知らないはずはないのですが、現実に企業や一般市民が受け入れないと考えているのでしょう。海外旅行やブランドものが手に入らなくなると聞けば、誰もが票をいれないでしょう。ある意味、民主主義の限界がここにみえます。

政治で世界を変えることは難しいのかもしれません。

エンデは、現代の資本主義システムに警鐘を鳴らし、貨幣システムの変革を説きながらも、未来図を楽観視していません。彼は、こう予言しています。

「このシステムが必然的にもたらすことがはっきり見えるようになる前に、理性と理解により、この資本主義システムが改革されるという幻想を私は抱いていません。つまり、史上よくあるように、理性が人を動かさない場合、出来事がそれを行うことになるのです。人間が引き起こす出来事がそれを行う。その出来事は、私たちの子孫がこの惑星上で暮らしていくことを難しくすると思います。彼らは私たちを呪うことでしょう。そしてそれはもっともなことなのです。私が作家としてこの点でできることは、子孫たちが私たちと同じ過ちをおかさないよう、思考し観念を生み出すことです。

個別の問題だったものがだんだんとつながりその包囲の輪を縮めてゆく。近代自然科学の問題から、社会心理、宗教、経済と、問題はみな関連しています。どれか一つの問題を取り上げようとすると、他の問題も浮上して、すべての問題を同時に解決できないので困るのですが、実はそれをしなければならないのです。落城のときと同じで、どの城壁の窓から外を見ても、そこには包囲群がすでに迫っているのです。

お金は人間が作ったものです。変えることができるはずです。」(エンデの遺言 41頁)

貨幣システムを変えることは簡単ではありません。その理念がいかに、素晴らしいことだとしても、今ある権利を手放すことを皆恐れるからです。

お金の価値観を変えるだけでなく、わたしたちのこころの価値観を変えることも求められていると感じます。
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2 件のコメント:

  1. こんにちは!みかんです。おお、松岡氏の記事とわたしのブログ記事が一緒に載ってるなんて!もう、ビックリ&恐縮です!
    松岡氏が「読機」「旬読」といってるように、わたしも「読機」を逃し「モモ」は読んでないのです。やはり、読まないといけないですね。
    「はてしない物語」「ナルニア国物語」「ゲド戦記」「指輪物語」これらの名作も「読機」を逃したまま今にいたり・・「ナルニア国物語」「ゲド戦記」の第一巻は大人になって読んだのですが、もう、こころが純粋でない大人が読んでも「旬読」にはならず、続きを読んでません。わくわく感がなかったのです。かなしい。「指輪物語」も映画を先にみて、本を読もうとして、でも、映画をみて、気になった部分しか読んでないのです。「読機」と「旬読」の関係性って、とらえどころがなくって、でも、突然やってくるから不思議ですね。

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  2. みかんさん、こちらこそいつもありがとうございます。
     松岡さん「モモ」をあの夜読んで、これ八丈島「水海山」の時期にみかんさんから教わったことだ、と。<ゴミ問題を考える 経済システムの限界>シリーズ1〜5、私には貴重なアーカイブです。このシリーズでみかんさんが伝えようとまとめられた内容は大事なことばかりだった!
     私の「モモ」は「耳機」でした。本は読んでいないのです。まだエンデが健在だった昔、偶々つけていたラジオからこの話が流れてきました。名作シリーズの朗読かなんかだった。思わず聞き入ってしまい、衝撃を受けました。松岡さんの記事で、エンデの生い立ちを初めて知り、エンデのことをもっと知りたくなっています。

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