2010年3月10日水曜日

私的感想、講演シンポジウムに参加して

3月6日の講演シンポジウムに参加して以下のことを感じた。


一組は悪なのか?国は悪なのか?

一組を含むごみ行政システムの絵柄は、廃プラ焼却をするしないを含め、どっかで誰かに作られた(国、都道府県、役所、地方自治体などなどの)指針や方針に沿って粛々と仕事を遂行し続けるシステムが動いている。システム内部にいる個人一人一人は言われた通りに又は決められた通りにお仕事を遂行する仕組みになっている。


今回の講演シンポジウムが終わった後の感じはとにかくまいったな〜でした。ごみ行政システムというのっぺりした顔のない組織、ごみ問題で困ったなと感じることがあったとしてもその仕組みに一住民となると素手で向かい合うことになる。今回は実証確認試験に一組は3億4千万円以上の金(区民税)を使って意味のないと思われるデータを出していた。私的感情として、なんでそんな馬鹿げたデータを住民側は自分たちの時間と労力を使ってチェックしなければならないんだ。これっておかしいって思うようになってた。システムのやり方に「これって変」って異を唱える時、巨額予算を握ってるシステム側対ポケットマネー捻出の素手個人の構図にとうぜんなってしまうんだけど、この構図すらシステムの働きに組み込まれてるんだもん。

粛々と仕事を遂行するシステムが、こっちが異を唱える事柄に柔軟に対応ができるように変化させるためには、個人一人一人はどうしたらよいのかどう動いたらよいのか????既存の枠組みを超えるためにはどう動けばよいのか????

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会場は補助席の補助席まで出すほどにごったがえし(参加者約85名と聞いた)開始から終わりまでぴりぴりした雰囲気。
呼びかけ人の佐藤さんの挨拶から始まり、ごみ問題ジャーナリストの青木さんが今回の講演シンポジウムに至るまでの経緯と何を問題にしたかを説明。
1部の講演では、まず環境総合研究所の池田さんと鷹取さんが明確に23区清掃一組の行ったサーマルリサイクル実証確認試験の税金の無駄遣いをしただけの試験だったことを指摘、そこから出されたデータの意味のなさは具体的にパワーポイント資料で説明。
次に村田徳治さんが主にサーマルリサイクル(ごみ発電)の問題を指摘。ごみ発電は熱効率が悪くリサイクルという言葉はまやかしで、今の日本の熱回収のやり方はナンセンスであることを説明。各清掃工場の環境報告書もバラバラな物差しを使って勝手に報告がなされている現状、廃プラ焼却開始後のデータも不備が多くいい加減だと示してくれた。
2部の講演は、国立環境研究所の森口さんの話。私はごみ問題は国の方針に従って行われるごみ行政システムの問題だと考えているので、森口さんがどういう話をするのか興味があったが、こういう風にこういう風にいろいろむずかしいことがある(いろいろ努力はしているけど)という話しで、既存の枠組みを超える発想が国や行政側にあるようには思えなかった。
3部のシンポジウムは1部2部を聞いた後に出された各質問に講演者が答える形で行われた。
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ABCフレームによる行動空間の形成



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www.abccommunity.org/dengelbartsabcinterpreted_j.html

ABCフレームによる行動空間の形成
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↑サイトアドレス誤って記入しました。お詫びします。






社会システム理論〈上〉1349夜
『社会システム理論』

ニクラス ルーマン
リスク論のルーマン1348夜
『リスク論のルーマン』

小松 丈晃
現代社会のゆらぎとリスク1347夜
『現代社会のゆらぎとリスク 』

山口 節郎

12 件のコメント:

  1. >構図すらシステムの働きに組み込まれてる
    これはそのとおりで、そこをそうならないようにするためには個人が出来るような細かいことで自分の意見を言う文化をつくることだと思います。今度のようなセミナーもそういうところをおとしどころとしている感覚があるとよい気がするのですが。ただ、もしかしたら主催者の方々にとってはまどろっこしすぎるのかもしれません。

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  2. Hirohideさん、コメントありがとうございます。
    ごみ問題がシステム問題だとはっきり意識したのは最近です。ぼんやりとは感じてたけど。同時期にフィギュア問題があってそっちははっきりシステム問題だって先に気づいて、同じ事がごみ問題にも当てはまると思ったのです。
    システム問題ととらえた時に自分はどの位置にあってどうふるまえばいいのかなと考え始めています。

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  3. ジェリコさん、わかりやすいまとめと感想をありがとうございます。正直、シロートには、このレベルのまとめ(平易さ)がないと、後ずさりするばかりです。税金払っているとはいえ、メンドクサイことは考えたくないんですよね。って、この態度も「システム内」に取り込まれているのかな?

    「システム論」、セイゴウ氏もとりあげているんですね。ご紹介、ありがとうございます。

    このごろ、大手進学塾の教育(?)洗脳(?)方法が、まさに「システム」だと直観。それに乗っかるとその瞬間は、ラクなんだけど、あとでツケがやってくるみたい。私はミヤダイが言うところの「生活感覚」の教室運営をコツコツと行いまーす!

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  4. おりひめさん、コメントありがとうございます。

    面白い!!

    >税金払っているとはいえ、メンドクサイことは考えたくないんですよね。って、この態度も「システム内」に取り込まれているのかな?

    「この態度も」込みでシステム働いちゃってますよね。だけど、「メンドクサイことは考えたくない」わたしがちらっと税金の行方をのぞいたら、ああちゃんと使われてるな、使途明細も一目瞭然ってシステム内部の肝心核が動く動き方があるはずだと思いません。皿洗ったり掃除したり仕事したりでくるくる毎日過ごしてるこっちがいつも目を光らかせてなきゃなんないシステムなんて、困っちゃう。

    なんだか今回ルーマンの社会システム論が気になって(一時かじったときはちんぷんかんぷんだった)、たまたま正剛さんを昨夜覗いたらでてきた。セイゴウ文、相変わらず長い!でも、ヒントになりました。

    おりひめさん流「生活感覚」の教室運営は、既存のフレームワークをふわっと超えていくんじゃないかと思ってます。

    感謝

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  5. 僕は問題の背景に「人」のやることは正しくなければいけない、という暗黙の価値観の支配があると思います。社会を動かすのに正しいことなんていうのはありえません。市民の感覚が正しいことをしないと袋叩きにする、ということであれば社会的に何かをする人は口先だけでつじつま合わせするため、結果的にうそをついたり、その延長ででたらめな報告書を書くのは当然のなりゆきで、だから市民個人がシステムに対峙せねばならない羽目になります。そしてその原因は市民側にあることになります。なので、うそをつかないこと、という価値観を支配的な価値観として、間違えに対して寛容になる日常を作らねばならないと思います。

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  6. Hirohideさん、コメントありがとうございます。

    今日一日朝から考えてました。

    コメント中の1)「市民」と2)「うそをつかないこと」という用語がややこしさの原因と気づき、以下の言葉に置き換えてみました。そしたらすっきりしました。ほぼ同感です。感謝。

    1)「市民」は「複合的な存在である個人一人一人」に。この意味は、会社員で既婚者子有り又は子無し又は独身、役人で既婚者子有り又は子無し又は独身、先生で既婚者子有り又は子無し又は独身、政治家で既婚者子有り又は子無し又は独身、パートで既婚者子有り又は子無し又は独身、フリーターで既婚者子有り又は子無し又は独身、退職者で既婚者子有り又は子無し又は独身、無職で既婚者子有り又は子無し又は独身、専業主婦で子有り又は子無しなどなど以下無限の組み合わせとなります。

    2)「うそをつかないこと」は「うそをつかなくてすむ」に。

    ーー僕は問題の背景に「人」のやることは正しくなければいけない、という暗黙の価値観の支配があると思います。社会を動かすのに正しいことなんていうのはありえません。複合的な存在である個人一人一人の感覚が正しいことをしないと袋叩きにする、ということであれば社会的に何かをする人は口先だけでつじつま合わせするため、結果的にうそをついたり、その延長ででたらめな報告書を書くのは当然のなりゆきで、だから個人一人一人がシステムに対峙せねばならない羽目になります。そしてその原因は個人側にあることになります。なので、うそをつかなくてすむ、という価値観を支配的な価値観として、間違えに対して寛容になる日常を作らねばならないと思います。

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  7. >「うそをつかないこと」は「うそをつかなくてすむに
    ここはちょっと僕とは違うのです。僕は「うそをつかない」事をよし、という価値観をもった市民文化をもってはじめて「うそをつかなくてすむ」社会ができるし、「嘘も方便」という余裕も出てくる、という感じです。

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  8. Hirohideさん、「うそをつかない」ことをよし、って真の自覚とセットですよね。だったら同意。

    Hirohideさんの「ABC」モデル、今回使えました。
    「ABCフレームによる行動空間の形成」
    https://www.k-kirari.jp/cgi-bin/blog/sfs6_diary.cgi?action=article&year=2010&month=03&day=10&mynum=2640

    なんでもいつかは役に立つもんだと一人でうれしがっています。

    感謝

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  9. Hirohideさん、追伸です。

    「ABC」モデルの説明、凄く良くなりましたね!!

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  10. こんばんは、みかんです。沢山のレポートありがとうございます。お疲れさまです。レポートは、まだ全部読み終えてないのですが、「システムの問題」という言葉を聞いて、「成長の限界 人類の選択」を思い出しました。持続可能な未来へ向けて必要なものは何かという章で、気に入った文章を引用します。

    『誰であっても、忍耐と寛容がなければ自由に学ぶことができない。しかし、行き過ぎている状況下では、忍耐や寛容さにかけられる時間はそう残ってはいない。一見対極に見える切迫と忍耐、責任と寛容のバランスを正しくとるために必要なのは、思いやり、謙虚さ、明晰な頭脳、誠実さ、そして――最も難しい言葉であり、あらゆる資源のなかでも最も欠乏しているように思われる――愛である。』

    システムの問題に立ち向かうには、個人はあまりに弱すぎるし、無力だと感じます。しかし、そう思いながらも、システムを変えるには、個人が変わらなければどうにもならないとも感じています。

    そんな中、いきなりフィギュアネタですみませんが、システムに堂々と異議を唱えたエルビス・ストイコの態度にとても勇気づけられましたし、同様にシステムや偏見に立ち向かうジョニー・ウィアー選手にも強い勇気と愛を与えられました。

    彼らのような勇気ある態度が、普通に生きている私たちに、もっとも必要とされているものではないかと感じました。

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  11. みかんさん、いただいたコメント永久保存です!!

    資料を読んでくださっている事、引用の言葉に、背筋がしゃんとしました。

    フィギュアネタへの転換でほっとしました!!

    バンクーバーオリンピック中に国際スケート連盟の採点のやり方を批判してカナダメディアに袋だたきにあったカナダ元銀メダリスト、エルビス・ストイコ。衣装の好み、姿かたち、生き方、ロシアコーチに付いてるロシア文化を愛するなどなどの理由でさんざん米国記事でからかわれたり批判された米国天才スケーター、ジョニー・ウイアー。二人とも素敵でした。叩かれたってすっと立ってる。ネットのコメントでジョニーへの褒め言葉で一番多いいのが、"I love him because he is so true to himself." ヘイトコメントほとんどなし。北米でも一般の人たちの感覚は鋭いと思いました。

    感謝

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  12. Hirohideさん、お詫びします。

    ABCモデルのサイトアドレスを間違って記入していました。(上記3/12付け私のコメント)。「源流きらり」のサイトアドレスを誤記入していました。Hirohideさん、源流きらりさん、ごめんなさい。ここに訂正させて頂きます。

    ABCモデルの正しいサイトアドレスは、以下の通りです。

    「ABCフレームによる行動空間の形成」
    http://www.abccommunity.org/dengelbartsabcinterpreted_j.html

    以上、よろしくお願い致します。

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