2015年3月23日月曜日

20150319 青木泰さんからのメール「3.2 タチアナ集会 報告」




3月2日のタチアナ集会について、青木泰さんから報告が届きました。掲載させていただきます。
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差出人: 青木泰
日時: 2015年3月19日 16:51:37:JST
件名: 3.2 タチアナ集会 報告


皆様へ
お世話様です。
集会への賛同ありがとうございました。
報告がまとまりました。
bccで皆様にお届けいたします。
拡散歓迎します。
青木泰
3.2 タチアナ講演シンポジウム報告
専門家が被ばくによる影響を語るまで待てばよいのか!
―被ばくによる影響を隠す専門家会議に科学的批判―
           
2015年3月18日 東京実行委員会事務局


 「今、チェルノブイリの28年を経て、日本・福島の皆さんに伝えたいこと。」衆議院第1会館多目的ホールで開催したタチアナ母子をお迎えした講演シンポジウムは、120名の参加で、成功裏に終える事が出来ました。

 117名の甲状腺がんの子供と、すでに手術を行った87名。これは普通に考えれば、福島県は、現状のままの対策方法に大きな疑問が突き付けられたと考えるべきで、すぐさま、子供を避難させたり、食品の基準の見直しを行う必要があります。予測通り、そのような確信を与えてくれる講演シンポジウムでした。

3月に入ったこの時期は、自治体では、年初議会が始まり、4月の統一地方選を控え、普段は、このようなテーマに活発に参加される議員さんや、市民活動家の皆さんも、身動きが取れない状況が予想されました。しかも月曜日と言う“悪条件”の中で、お医者さんたちも診療などの勤務が入り、参加者数が危ぶまれましたが、やはり福島をこのまま放置してはならないという多くの「気持ち」が、講演シンポジウムを盛り上げてくれました。

権威の仮面をかぶった御用学者たちの根拠のない説を、登場した各人から下記のように報告されました。

           チェルノブイリの影響がいまだ消えないウクライナの実態が、小若さん、タチアナさんやサーシャさんからの現状報告がありました。
          「被ばく影響を否定する」見解に対して、甲状腺がんを定期的に診断し、その実践の裏づけを持って、がんの罹患率上昇の怖れを科学的に指摘された寺澤政彦医師。
           被害の実態を、広島・長崎、チェルノブイリそして福島と一貫して事実を隠し、その見返りに学会の権威に鎮座してきた御用学者の系譜を批判した蔵田計成さん。
           原子力行政においては、旧ソ連も現日本も国民、住民の犠牲を顧り見ることなく、安全、安心神話をふりまいてきた点を踏まえ、住民は自分たちで連携して、子供と未来を守るしかないとはっきり指摘されたタチオアナさん。
           そして病で来れなくなった岩上さんに代わって、急きょコーディネイターを引き受けていただいた白石草さんは、「一部の専門家(=御用学者)が、説明するまで(私たちは)待つのか」と適格に現状を報告してくれました。(注1)

個性的な人たちが、その持ち味を存分に発揮した講演シンポジウムでした。

まず皆さま、下記2か所のインターネットで報告されています。是非ご覧いただき、ご自分でご確認ください。
IWJの場合、会員登録すれば、最初から最後まで録画をご覧いただけます。―この際ぜひご加入ください。

①IWJ

20150302 UPLAN【講演】
小若順一、タチアナ・アンドロシェンコ女史&次女サーシャ「チェルノブイリを生きたタチアナ母子の福島へのメッセージ」
20150302 UPLAN【シンポジウム】「チェルノブイリを生きたタチアナ母子の福島へのメッセージ」

 I部 講演会 

最初にタチアナ・アンドロシェンコさん・サーシャさんの来日を歓迎し、歓迎の舞(=一人芝居)が、萩原ほたかさんによって行なわれ、森田梅林さんが、芝居に合わせて笛を奏でました。
 この後、タチアナさん・サーシャさん、小若順一さんの講演、そして寺澤政彦医師の講演と続きました。司会は、東京実行委員会共同代表の佐倉直海が努めました。

 <チェルノブイリの影響は、隠し切れない>

講演シンポジウムの最初に行われた小若順一、タチアナ・アンドロシェンコ女史&次女サーシャさんの報告を通してわかった事は、チェルノブイリ原発事故の影響は、29年後の今も考えられないような傷跡を残し、今も被ばくの影響で苦しんでいる多くの人がいる事が示されました。

小若さんの報告にあった奇跡の話、体が自由に動かない子供が、放射性物質を除去した食事療法によって動くようになったり、症状が改善したという話は、低線量の内部被ばくによって、そのような症状を抱えている子供がいるという事実を同時に伝えています。

次女のサーシャさんは、「産まれたときからおなかの痛みを抱え、その痛みもナイフで内側からナイフで切られたり、突き刺されるような痛みだった。」「きれいな食品を食べる事によって、私の生活が変わりました。」と発言し、予想していたとは言え、会場の皆さんを驚かせました。

タチアナさんの活動報告を通して、チェルノブイリの原発事故を受けて、被ばくによる影響で、痛み等の慢性的な疾患を抱えていた人たちが、日本発「痛みを無くすプロジェクト」によって「希望」の光を見つけつつあることもわかりました。

チェルノブイリの影響は、日本の専門家会議(長瀧重信座長)による報告が、ベースにしている「100mSV以下では被ばくによる影響が出ない」どころではなく、1msv位の低線量地域でも、様々な疾患に苦しんでいる実態がはっきりと報告されました。

今上映中の「小さき声のカノン(選択する人々)【鎌仲ひとみ監督作品】」で示されているベラルーシでの状況とまったく同じでした。

「小さき声のカノン」では、福島とベラルーシ、そして保養地としての北海道が、主な舞台になっています。低線量の被曝によっても、さまざまな疾患が子どもたちを襲い、安全な食品を摂取することや定期的な保養が必要であることが映像表現されていますが、合わせてご覧いただくと、今回のイベントで訴えられていたことが、よりはっきりと伝わってきます。

この映画では、ベラルーシでは、4万5千人の子供を国家予算を使って、保養に出していることも報告されています。

<福島で起きている事態は、被ばくによる影響>

寺澤政彦医師の報告は、多面的な観点から、一つ一つの科学的事実をパワーポイントで、指摘しながら福島で現に起きている事態は、被ばくによる影響としか説明できないとはっきり指摘しました。(資料【会場で配布】ご入用の方は、下記アドレス(0302tachianatokyo@gmail.com)までお申し込みください。1000円)

そのうえで、2015年から2016年にかけて、小児甲状腺がんの罹患率が上昇する可能性があると発言し、それに備えた医療体制を緊急に作る必要があること、現状のままでは体制が取れないとも指摘しました。

寺澤医師が、指摘した点は、

·         ヤマトシジミの死亡率と汚染地域と非汚染地域との関連を示し、福島県と宇部市で採取されたカタバミの葉を食べさせたものに、死亡率、異常の発生率に、5倍から12倍もの大きな違い。
·         上記カタバミに含まれていたセシウム量とヤマトシジミの死亡率とで描かれるリスクモデルは、低線量内部被ばくのリスクが存在することを示唆。
日本政府は、低線量でリスクなしとしているが、科学的事実に合わない。
·         これまでの甲状腺の県民調査結果、A1(異常なし)は減り続け、逆にA2(5m以下の結節、20m以下ののう胞)が増え続けている。B判定は、わずかながら増えている。H25,H26年は、A1A2が逆転し、A2の方が多くなっている。環境要因による影響がなければ、このような変化が起こることは、考えられない。
·         サイログロブリン(Tg=甲状腺ののう胞が、何らかの炎症で破壊されると血液中に増加する甲状腺ホルモンT3T4が結合したタンパク質)のてらさわ小児科(仙台市)での測定の結果、事故直後異常値が多かった。その後次第に低下。原発の影響を受けての変化と考えられる。
(仙台市でそのような変化をキャッチできた以上、福島でも当然そのような変化があったとみるべき!)
·         甲状腺刺激ホルモン(TSH)の変化もTgと同様の傾向。
·         ベラルーシの甲状腺がんの罹患率の推移。今も増え続けている。
·         CDC(アメリカ疾病予防管理センター)は2013年、小児がんの潜伏期を1年(血液・リンパ系腫瘍は0.4年)、低線量被ばくによる甲状腺がんは2.5年と算定した。
·         青森県では、再処理工場の放射能による健康被害を心配する県民の声に応えて小児がんの登録事業に取り組んできた。2000年からの集計では甲状腺がんは一例も報告されていない。
·         日本全国で大気圏核実験の放射性物質による健康被害が1950年代から発生している。それは今でも続いている。

II部 シンポジウム
 
 シンポジウムに移ったのち、司会とコーディネイターとしてアワ-プラネットTvの白石草(はじめ)さんとパネラーにゴフマン理論研究会の蔵田計成さんが新たに入り、白石さんは、さっそくタチアナさんに寺澤さんの話を聞いたうえでの感想を求めました。

 <チェルノブイリ事故の事実すら伝えなかった旧ソ連政府>

 タチアナさんは、当時の旧ソ連では、「きれいな食事」と立ち入り禁止区域を定めるということはやっていたと述べながら、次のように話を続けました。

 「しかし・・・事故後最初の7日間―放射性ヨウ素の影響への対処をしなければならない期間には、―危ないという情報はなく、ヨード(=安定ヨウ素剤)もくれなかった。子供たちは、いつも通りに外で遊んでいた。チェルノブイリ法によって、強制移住区域が定められ、実行に移されたのは、隣国や国際的な求めによってのものである。」

「だから結局、どこの政府も、自分の政府の利害得失を考えて対処する。そこで住民は、社会団体を作り、自分たちの命や健康は、自分たちで守ってゆくしかない。」
のっけからタチアナさんからは、本質をとらえた返答が返ってきました。

 そしてその発言の中から垣間見ることのできたことは、旧ソ連やウクライナでは、安全対策や医療体制の面で、日本より、むしろ進んでいたと驚くべき事実でした。
  
この点を白石さんは指摘しながら、日本がなぜ対処策の面で、遅れているのかについて、蔵田計成さんに発言を求めました。
 
蔵田さんは、タチアナさんとは初対面ですが、タチアナさんが、話したウクライナの当時の様子を受けて、まるで自分が体験していたように話し出し、参加者は、蔵田さんの話にくぎ付けになりました。
「1986年4月26日にチェルノブイリの原発事故が起こり、その5日後がメーデーであった。党機関誌プラウダは、何事もなかったように、メーデー参加を呼びかけた。事故現場から130km南にあるウクライナ首都キエフでも、同地区の共産党書記長は、孫を連れて、デモの先頭に立った。彼は役職上原発事故のことは知っていたはずである。その後自死した。」
「おそらく、メーデーのデモ行進を従来どおりに行なわせたことへの自責の念に駆られてのものと考えられる。事故処理の総責任者・物理学者レガソフも、事故1年後に遺書を残して自死した。」

 <御用学者が隠してきた被ばくの実態>

 チェルノブイリ事故後の25年のあとに起きた福島原発事故で、対処策がなぜ遅れてしまったのか、その点について立ちはだかっていたのが、被曝問題に係わってきた御用学者(=権威者)たちだったことが、蔵田さんの話を通して明らかになってきます。

「日本は、被曝防護と対策面で、広島、長崎の被爆体験がありながら、この旧ソ連の対応に比べても、何十倍も劣っている。最悪である。」(政治的社会的にモラルハザートをきたしている。(旧ソ連ですら、責任者たちが自死を選んだモラルの上での土壌があった)

「チェルノブイリ事故の4年後、国連調査団が入った。その団長は、日本の放射線影響研究所いわゆる『放響研』の所長重松逸造博士だった。(専門家会議の座長である長瀧重信や山下俊一も調査団のメンバーだった。)その1年後に1991年報告を発表する。この報告書には「汚染に伴う健康被害は認められなかった」「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレスであると書いた。」

山下俊一は、311以後の318日、福島県立医大の副学長に就任し、当時県立医大内で準備していた安定ヨウ素剤の県民配布をやめさせた。(注2)そればかりではなく、県民健康調査検討委員会の座長を務め、会議の前の密談で「被ばくによる影響ではないという」口裏合わせを指示していたことが発覚し、座長をやめた。

他方長瀧重信は、現在環境省専門家会議の座長であり、今回の甲状腺がんの多発に対して、あくまで被ばくによるものではないといい続けている張本人である。

「長瀧は、2年前の2012年に、文科省の委託事業で、『チェルノブイリ事故の健康影響に関する調査報告書(408ページ)』を書いている。この直接の目的は、2007年に『チェルノブイリ被害の全貌』(ヤブロコフ博士他著作、ロシア語・ドイツ語版)に次いで、2009年「英訳版」が出されたが、これに対する批判であった。

チェルノブイリ事故による被害の実態と全貌が明らかになる中で、その影響を掻き消すための調査報告でしかないが、批判の中身は無内容でひどい。チェルノブイリで起きた圧倒的事実の前に、なにひとつ反論できていない。現地関係者への意見聴取でも、所期の過小評価を裏付ける知見を引き出すことはできなかった。」

 「長瀧重信は、その報告書の中で死者に関する記述は、136名が癌にかかり、28名が死亡しているとだけ述べている。事故に際して、大量の鉛を投下し、その投下にかかわった600人のパイロットが、20年以内には全員死亡している事実や、チェルノブイリの地下トンネル130メートル掘削作業にかかわった炭鉱労働者1万人は全員20歳台であった。そのうち、4分の1が40歳になるまでに、死亡している事実などは、一行もふれていない」

 「『チェルノブイリの被害の全貌』は、6000点を集めた調査報告書である。その中には、事故20年後に人口動態統計から推計した地元3ヵ国の死者数23万人とあるが、長瀧らの報告書では、肝心な死者数の検証は皆無に等しい。」

 「長瀧は、311の直後の内閣の官邸ホームページの論文のなかで、先のこの1991年の報告書や調査報告書と同じように、被害の実態を隠している。彼の対応は、嘘と欺瞞に満ちている。」

「しかしその報告書の中でさえ、ウクライナ医学アカデミー関係者とのインタビューンで『チェルノブイリの最大の失敗は、安定ヨウ素剤を配布しなかった』という点は、記載せざるを得なかった。」

<御用学者の系譜>

蔵田さんの指摘は、小児甲状腺がんが、117人と発表され、それが被ばくの影響ではないと主張する長瀧らの主張は、放射能被ばく学会を牛耳る御用学者たちが作ってきた“偽りの報告書”に根拠を置いていることを、明らかにしてくれました。

そしてそれは、広島、長崎では、100mSv以下の統計調査を除外し、低線量被ばくによる影響データを闇に葬り、チェルノブイリ事故に対しては、東西の体制の違いを超えて、事故の実態隠しに走っていたことが分かりました。

そのときに、国際プロジェクト団長重松の下で、長瀧、山下は、その偽りの報告書作りに自らかかわっていました。

そのうえ、今回の福島原発事故については、山下の場合、御用学者の調査報告書にもその重要性が書かれていたにもかかわらず、事故時の安定ヨウ素剤配布を握りつぶし、今日の放射性ヨウ素による甲状腺被曝疾患の多発の要因を作り出した元凶でした。

他方長瀧は、山下の免罪を図るためか、甲状腺がん117人と発表したが、その被ばく影響が多発している事実について、握りつぶそうとしていたのです。蔵田さんは、続けて
 「民主党政権下において、衆議院議員議院運営委員会の調査団が事故直後チェルノブイリ現地に派遣された。その調査団は事故の年の12月、これまで聞いていた点と異なるような、事故に対する過小評価の実態ぶつかったことを、驚きをもって報告している。また、広島・長崎の原爆資料は偽造されたものと断罪する『チェルノブイリの長い影』(ホリシュナ論文)を日本に持ち帰った。長瀧や山下らが隠してきた事実や、これまで広く問題にはなっていなかった実態にもふれている。」ことを指摘し、事故の影響隠しにかかわった山下ら長瀧ら御用学者が、甲状腺がん発症への被曝影響評価にかかわり、「検討委員会」や「専門家会議」の責任者に座っているーいわば犯罪容疑者が、それを裁く裁判長の位置に居座っていることに、疑問を投げかけました。

 <食品についての基準に問題がある>

白石さんは、議論の行くへを小若さんに振り、被ばくによる影響が覆い隠される中で、福島現地では、地産池消の掛け声の下、子供たちの口に運ばれようとしている食品の基準について、これでよいのかを尋ねました。

「先に仮説を作り、それにあわせた対策対処を考えてゆくということについては、どのような場合でもそうした方法をとってゆくことになる。しかしその仮説は、あくまで現実の事実から進める必要がある。」

「ウクライナで当面した現実からいうと、現在の100ベクレルから1ベクレルに落とす必要がある。」「1ベクレル連合を作ろうとしている。」

日本の食品基準は、当初500ベクレル/kgとして出発させました。しかしそれは、畜産用の飼料の基準300ベクレルよりも緩く、放射能汚染廃棄物の処理の基準として設定されていた100ベクレルの5倍も緩めの基準でした。

これまでの放射性物質を取り扱う原発、医療施設、民間原子力研究施設から排出される廃棄物は、100ベクレル以上ならば、ドラム缶に密封し数百年の保管を義務付けられ、通常の廃棄物として処理し、焼却したり、埋め立てたりすることも「不可」とされていました。

日本では、その線量レベルを5倍も引き上げ、おまけに500ベクレルでも「口にしてよい」という食品基準で出発させたのです。日本の専門家の適当さを如実に示す基準でした。

そして2012年4月から、その食品基準は、100ベクレルに下げられたものの、100ベクレルは、放射性物質かどうかを判定する線量基準であり、それ以下(たとえば99ベクレル)ならば口に入れて良いというのですから、どうかしているといえます。

九州から関西にかけて展開するグリーンコープは、当初から独自の10ベクレルを基準にし、関西のコープ自然派ピュアの場合、検出器で、検出されれば、取り扱わないという独自基準を示し、その後他の生協や共同購入会でも議論の上、10ベクレル周辺の値を基準とする独自基準を採用する動きとなっていました。

チェルノブイリの事故の後遺症で苦しむウクライナに5度もでかけ、「子どもの痛みをなくすプロジェクト」を実行してきた小若順一さんの、1ベクレル宣言はこのような背景がありました。

 <不安を口にしてください。>
白石さんは、「現状についての議論を進めることすら棚上げされている現状の中で、一部の専門家と称する御用学者。彼らが被曝影響だという結論を出すまで待っていて良いのだろうか」と問題を投げかけながら、次のようにシンポジウムを進めた。

現状では、甲状腺がんだけが問題になっているが、進行している事態を考えた時、それだけはないはず。どういうことをすべきかを寺澤医師に問いかけた。寺沢医師は、「不安を口に出してください。」という。

「お医者さんの中には、子どもをつれて、被曝による影響を心配していると相談すると、放射能の影響とは、関係ないと怒鳴る先生もいますが、当時もグランドに出ていたサッカー少年が心配だといい始めています。一般の方も一歩踏み出しましょう。みんなが不安の声をあげて行くことが大切。」
  
 <チェルノブイリの経験は、活かされず!?

避難とか保養は、日本では国の政策に成っていないが、旧ソ連の避難政策はどういうものだったのか?白石さんがタチアナさんに尋ねました。

タチアナさんの話を聞くと、最初は、チェルノブイリから50~60kmの場所に逃げ、その後そこから離れた場所に、さらに避難した。チェルノブイリ事故の実態が世界に知られるに従って、対策が取られていったということです。

 「最初は、10km圏内にいる村人から始まった。その場所には、放射線量が高く、人間がいる事は出来なかった。」

「まだ世界には、チェルノブイリの事実は知らされていなかった。そのせいもあって、3日ぐらいの臨時の避難だと、避難が始まった。そしてパニックが無いようにした上で、避難した場所は、50~60km離れている場所だった。」「避難先では、仮設住宅ではなく、村ごと新たな村を作るということではじめた。5月14日に避難したが、約3ヶ月後を目指して村ごと新たな村づくりを行った。9月1日新学期に間に合わせるためです。そのまま1992年まですみ続けた。」

「1994年までには、移住に関する国家プログラムが完成された。しかし予算の関係で実施されなかった。ソ連邦崩壊やその後のウクライナの混迷の中で、財政の関係で、約束されていた支援が入ってこなかった。」

その際、避難、移住の基準は、国際的な基準を守っていた。このタチアナさんの発言を補充する形で、小若さんの発言「ソ連はひどい国だと思っていた。しかし1msv/年間は守った。1msvを超えたところは、移住権を与えた。そして5msvを超えたところは強制移住にした。日本は、20msvにしてしまった。詐欺か殺人だ。」が続き、

白石さんも「『ルポーチェルノブイリ・28年目の子どもたち』【岩波ブックレット・白石草著】にも記載しているが、検診や保養の権限は、0.5msv。」と付け加えた。

 また4年経過し、今も仮設住宅住まいの生活を送っている日本の被災地の様子を取り上げ、小若さんは、「仮設は、2部屋しかなく、1部屋は食事と居間に使っているため、家族全員が寝るためには、食事と居間の片づけを済ませた後でしかできない。一方ウクライナでは、事故後1年2カ月で、7万戸の住宅を建設している。(庭付の住宅)全国から学生ボランティアなども参加して、取り組んでいる。」

「日本では、まず着手しなければならない生活の事など後回しで、道路や山を削るとか、除染などを優先させている。」と指摘。

 避難と移住については、国際基準に従い取り組み、きれいな食品を食べるようにしてきたそのウクライナですら、28年後の今も「健康問題は続き、子どもも、大人も疾患に侵されている。」そうした中で、一貫している「国家の方針や目的は、チェルノブイリのことを忘れるため」ではないかと見える現実があります。

 日本では、国際基準に基づけば、強制移住させなければならない地域に、住民を住まわせ、そこから避難していた人々を戻し、しかも“地産地消”で、食材を食べさせようとしている日本の場合、今後どのような影響が出る事が考えられるか?想像するのすら恐ろしいことが分かりました。

【質疑】

この後質疑に移り、
〇まず日本の場合、現状の避難区域以外の場所である二本松や郡山市の場合でも、5msvはあり、チェルノブイリでいえば強制避難区域に当たること、福島県全域が選択移住地域に当たることが確認された。

〇次の質問者から甲状腺刺激ホルモンの役割について、寺沢医師に質問があった。
寺沢医師は、甲状腺が通常通り働いていなければ、もっと働けと刺激を与えるのが、甲状腺刺激ホルモン。低下したり、機能停止していれば、したがってがん化していれば、この刺激ホルモンの働きが強まる。見かけ上甲状腺に変化がなくとも、このホルモンが出ていれば、甲状腺が壊れていること、低下していることを見つけることができる。311直後この刺激ホルモンの数値が上がっている人が多かったのは、被ばくによって影響を受けたことが原因であると。
 同じ質問者は、バセドウ氏病との関係は?と質問したが、機能低下や停止に対して、出るホルモンなので、甲状腺の働きが強まることによるバセドウ氏病とは関係ないとの返答あり。

〇また1mSv論について、蔵田さんからICRPの創立経過に遡り、1928年に作業者500mSvから始まったことが話された。基準は何度かの見直しの後、ICRP1990年勧告で「一般公衆」「1mSv」が被曝防護史上はじめて登場。ICRPは1990年代から御用学者集団に変質したとはいえ、この公衆被曝限度「年間1mSv」は、ICRPも定めたものであり歴史的な意味がある。これを無視することが許されないとの発言があった。
経過をたどると
・ICRPが結成された年の「1928年勧告」:作業者の被曝「耐容」線量は年間500mSv。
・広島、長崎の原爆投下後の調査基準では、「100mSv以下は被曝影響がないから調査不要」とされた。
・ICRP「1950年勧告」:作業員の最大「許容」限度、年間50mSv。
・ICRP「1958年勧告」:はじめて「一般公衆」という概念が登場、「許容」線量年間5mSv。その頃、アリス・スティアートという学者は、レントゲン(医療用X線)の危険性を指摘。「妊婦の合併症が30%増」と警告。
・ICRP「1990年勧告」:一般公衆の被曝線量「限度」年間1mSv、作業者は年間50mSvと5年間100mSvを併設。
・ICRP「2007年勧告」:一般公衆、年間1mSv。この被曝リスク、1万人、被曝線量1mSv、発ガン死=0.5人。
・その翌年、ECRR(欧州リスク委員会)「2008年勧告」:人口放射線の被曝限度=0.1mSv。

「以上のように、ICRPの長い歴史のあゆみの中で、耐容線量年間『500mSv』から、線量限度年間『1mSv』にまで引き下げたという貴重な歴史経過がある。従って『1mSv』は重要な線量だ。」

「ところが、長瀧が座長まとめた中間報告は『およそ100mSv以下の低線量被曝によって、発ガンリスクが増加するという明白なエビデンス(検証結果)は、認められない』『不妊とか胎児への影響とか現れるとは考えられない』
といっているが、明確な根拠はしめされていない。これは許されない。」

 さらに蔵田さんは、ICRPモデルの重要な問題点を指摘した。(注3)
「いまも避難は一刻の猶予も許されない。」

 <タチアナさんからのまとめのメッセージ>
 
 ウクライナでは、甲状腺がん以外の疾患はどのような実態だったのかと言う質問と最後のまとめについて白石さんがタチアナさんに発言を求めました。
 
チェルノブイリ事故後の混乱状態をそのままに彷彿させる報告がタチアナさんから行なわれました。

 「検査のシステムは早く整えられた。しかし予想される疾患自体どのようなものかの予測はつかなかった。」
 「1991年から2年にかけて、小児甲状腺がんがたくさん見つかった。地方では転移した後に見つかった。そのほかは白血病だった。」
 「ひどい事例として小児作業者の健康は、注意を向けて健康診断が行われた。しかし高い染料を浴びていたため、ほとんど早くなくなった。」
 
「低線量で汚染されている住民には、きっちっとした調査が行なわれなかった。しかし頭痛、足の痛み、鼻血などは、普通の症状だった。」
 「女性の場合、3人に一人は婦人科の疾患にかかり、さらにその内3人に一人は手術している。女性は健康問題を抱えているが、みんなが抱えている問題なので、気にしなくて良いというのがこれまでだった。」

 そうした中できれいな食べ物を食べることにより「痛みを無くす」小若さんのプロジェクトの取り組みに感謝し、今ウクライナでのこのプロジェクトの取り組みに期待している。」

 「どこの国でも原発の事故は可能性があり、お互いを最も気遣いあうのは、被害を受けて住民だ。」

長時間にわたるシンポジウムは、司会の白石さんのコーディネートとパネラーと会場からの密度の濃い質疑も在って、多くの知見と実践的な課題を与えてくれました。

[集会まとめ]

 講演会と講演シンポジウムを終えた段階で、全体の司会、佐倉直海さんに戻し、公務で来れなかったかった山本太郎参議院議員からのメッセージを読み上げた後、タチアナさんたちのウクライナでの活動に、カンパの訴えが行なわれました。東京の会場だけで、4万1,810円のカンパが集まりました。有難うございました。

司会の佐倉さんからは、小若さんらの小さな取り組みが、福島の現状を変えてゆく大きな力に変わりつつあること、食品規制や避難問題を含め、見えてきた新たな課題に取り組んでゆきたいと今後に向けての決意が話されました。

そしてもう一人の共同代表である萩原春代さんからは、1部、2部を通したまとめの発言、「大勢で真実を知ることは、とっても大切なことで、タチアナさんからチェルノブイリ事故の様子を直接聞くことができてよかったです。また寺澤医師から何度も発言があった『口が裂けてもいえない』御用学者の実態が分かりました。ここに集って真実を知り、それを多くの皆さんに伝えてゆくための集会でした。本日は有難うございました。」が在りました。

集会は交流会を残して終了し、3部の交流会は、榎本めぐみさんの司会の下、鎌仲ひとみさんも交え、集会への感想と自己紹介を兼ねて、参加された約40名に話を伺いました。
                                               (文責 東京実行委員会 青木泰)

注1:岩上さんは、この講演集会の2部の司会とコーディネータを引き受けていただいていましたが、病のため倒れ、結局ドクターストップがかかり、集会に参加することができませんでした。急遽お引き受けいただいた白石さん有難うございました。岩上さんは、その後TVのモーニングバードのコメンテイターとして復帰することができましたが、ニトロを持参しての活動となります。養生しながらのご活躍を祈念いたします。

注2:「紙の爆弾」「安定ヨウ素剤の服用を中止させた御用学者山下俊一を公職追放すべきこれだけの理由)2014年10月号」 

注3:「ゴフマンは、0~55歳まで各年齢別に被曝による発ガン死の危険度(係数)を求めた。そのリスクモデルによると、かりに0歳の集団1万人が、1mSv浴びたとすると、その集団の生涯被曝ガン死は約15人、5歳時被曝集団では約13人となる。このように年齢別の集団ごとに被曝による発ガン死の危険度係数を求めたゴフマンモデルに照らし合わせみると、ICRPモデルの重大な問題点が浮き彫りになる。ICRPモデルは年間被曝限度として『一般公衆』『1万人集団』『年間1mSv』『被曝ガン死=0.5人』としている。ところが、その被曝ガン死=0.5人とは、ゴフマンモデルでみれば『46歳時被曝集団』の発ガン死リスクなのである。つまり、被曝時の年齢別集団を単位として被曝ガン死の危険度をみていくと、0歳で被曝した集団の危険度は、46歳で被曝した集団の危険度に比べると30倍も高い、5歳時被曝集団では26倍も高いことになる。これがICRPのいう『一般公衆』の被曝線量限度の実態である。その年間線量限度『1mSv』『発ガン死=0.5人』は、46歳時被曝集団1万人を対象にした、中高年用のリスクということになる。さらに、福島事故現場の年間被曝線量限度20mSvを、被曝感受性が高い0歳時被曝集団1万人に対して強いることは、たんに0.5人×20倍=10人の被曝リスクを押しつけることではない。累積20mSvに達した時点で、15人×20倍=300人の生涯被曝ガン死を強いることになる。」(蔵田計成談)
   

<プログラム>
12:20開場
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 開演:13:00〜   総合司会:佐倉直海(3.2東京実行委員会)
◆歓迎の舞:「羽衣」 萩原ほたか、森田梅泉 (15分)
【ご挨拶】(予定)(5分)
吉田忠智 議員(社民党 党首)
山本太郎 議員(生活の党と山本太郎となかまたち)
【第1部】チェルノブイリ後のウクライナ現地調査報告講演+シンポジウム

【講演】
   13:20   小若順一さん「痛みをなくすプロジェクト」代表20分)
  タチアナ・アンドロシェンコさん講演 &次女サーシャ(55分/通訳含む)
  【休憩】14:35 15分)
【第部】
【シンポジウム】14:50  16:30 シンポジウムの司会進行:白石草
(チェウノブイリ後の実態に精通する「OurPlanet−TV」代表 
タチアナさん&サーシャさん母子に加えて、
パネラー(寺澤政彦医師、小若順一代表、蔵田計成さんご登壇。
【ご挨拶】萩原春代(東京実行委員会・共同代表)(2分)
【第部】
【交流会】
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