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2012年1月11日水曜日

20120104 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」1/4〜福島原子炉事故原因〜12/26 国の事故調査・検証委員会中間報告へのコメント

From  満田正
日付  20112012年1月4日
Re:  「福島原子炉包囲日誌」1/4

たまかんねっとの皆様
たまかんねっと外の皆様には、BCCでお送りしています。
なお、このメール配信、私の判断で、勝手に送らせて頂いています。
配信不要であれば、連絡くださるようにお願いします。

ようやく、青梅市長選挙モードが終わって、少し、前向きの考えが出来るようになった。 
小笠原さん、以下のコメント批判してくれませんか。
3.11福島第1原発事故についての国の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大学名誉教授)が1226日事故原因を検証する中間報告を公表した。最終報告は2012年夏とのことである。
そのまとめでは、
(1)津波による過酷事故対策の欠如
(2)複合災害という視点の欠如
(3)全体像を見る視点の欠如
更にそのまとめでは、「いったん事故が起きると重大な被害を生じる恐れのある巨大システムの災害対策は、考え方の枠組み(パラダイム)の転換が求められている。」としているのであるが、果たして、考え方の枠組みの転換だけで原子炉は安全であるのかの疑問が出てくる。
すなわち、この中間報告では、事故対策、災害対策の欠陥を示したものであるが、果たして、事故対策・災害対策は可能であったのかの視点が遡上して来ない。
すなわち、3.11福島第1原子炉の事故対策・災害対策は可能であったのか、もともと不可能なものを建設したのではなかったのかの視点の欠落である。原子炉建設そのものに反対した人々は多い。その反対意見を無視した結果の事故・災害である。とにかく、事故調査・検証委員会がこの視点を無視するかの如く振舞う、そのことすらが不可解である。
もともと、事故を起した東電は国と一体化していたのであり、その国が事故調査・検証委員会を立ち上げることすら不思議な事態である。当然、事故を起した国・東電はその調査を国・東電外、もしくは国・東電に関係しない人々に調査・検証を公募によって委ねるべきである。百歩譲っても、国・東電関係者とそれ以外の人々(例えば周辺住民)に調査・検証を委ねるべきである。中間報告とは言え、このような視点を欠いた欠陥だらけの事故・調査委員会の報告にはどのような齟齬があるのかについて、指摘しておかねばならない。
結論から言うと、
(1)原子炉建設決定の責任・欠陥に触れれていない。
(2)事故・災害予測の責任・欠陥に触れれていない。
(3)事故・災害対策は、組織問題であるが、国・東電という欠陥組織について触れれていない。
(4)この報告書は事故・災害対策が技術問題であるかの幻想に満ち満ちているが、その限界について触れていない。
ということで、この観点で中間報告書を指弾する。
1.先ず事実経過である。
1)非常用ディーゼル発電機のほか配電盤も地下にあったため津波で水没し、全交流電源喪失を招いた。
2)吉田昌郎(まさお)所長(当時)ら東京電力側が、原子炉に注水して冷やす非常用装置が稼働していると誤認して代わりの冷却手段の準備が遅れ、被害が拡大した可能性がある。
3)東電や首相官邸内の情報伝達の混乱や津波への備えの甘さ、避難指示の遅れ。
4)原子炉の重要設備が地震で壊れた跡は確認できない。
5)1~2号機は三月十一日、非常用発電機や配電盤が浸水し、交流と直流の全電源を喪失。
6)3~4号機も配電盤が水をかぶるなどして全交流電源を失った。
7)1号機では原子炉の水蒸気を冷やして水に戻し再び原子炉に入れる非常用冷却装置(IC)で冷却しようとした。
8)ICに蒸気を送る配管の弁は自動で閉まったが弁は開いたままで、冷却が続いていると誤認した。
9)ICが機能不全に陥ってから十四時間を要し空だきとなった。
10)1号機は同日夕に炉心溶融(メルトダウン)し、翌日には建屋が水素爆発した。
11)3号機は十三日未明までは冷却が続いていた。
12)3号機原子炉の蒸気の力でポンプを動かして炉に冷却水を送る装置(HPCI)を、運転員が手動で停止した。
13)運転員は炉の圧力を減らす弁を遠隔操作で開け消火用のディーゼルポンプによる注水に切り替えようとした。
14)弁は開かないため水が入らず、注水が七時間近く途絶えた。発電所幹部らはHPCIの手動停止を知らなかった。
15)政府は放射能の拡大範囲を予測するシステム(SPEEDI)を住民の避難指示に生かせなかった
16)現地の対策拠点となるオフサイトセンターが機能しなかった。
ここでの事実経過はマスメディアによって報道されているものである。
次に指摘する視点はマスメディアでは一部しか報道されていないし、中間報告でも一部しか指摘されていない。
17)原子炉の耐久限界による配管損傷
18)立地不適応による地震・津波挙動の詳細説明
19)原子炉八分による技術者逃亡
明らかに、配電盤配置の配置・設計ミス、吉田所長や職員の誤認・技術習熟性の欠如、情報伝達の欠陥は存在するにしても、これらのことは起きるべきして起きたことで、結果が出て初めて指摘できるものであり、実際には、原子炉建設当時から40年以上もの間、原子炉推進関係者は努力してきた結果としてこの事態を生んだ。
逆に彼ら以外に人材が居たのか、40年経過してなお設計見直しが出来ていないのは何故か、吉田所長は柏崎原発でも忙しかったと言うが、彼を代替できる人材の不足、わざわざ三陸海岸という激震・荒波地域、僻地という技術者不足が災害・事故を招いたのではないのかとも思う。
要するに、中間報告の意図は、3.11福島第1原子炉事故は、人災・技術問題だと結論付けたいようである。
今後も原子力発電を維持し続けるという意思表示が隠されている。福島第1原発事故の不可避性についての結論を避けたいのである。今や、世論は除染・避難問題への流れを加速しつつある。あくまでのその場しのぎの対応である。当面福島第1原発が廃炉になれば、後は安全であるかのようなキャンペーンが行われるに違いない。事故調査・検証委員会は、本来想定外の事故への対応について、除染等起きてしまった事故への対策について今後に起きるべき事故の可能性についても触れなければならないが、そのことが見えない。
次に中間報告の詳細について触れる。
すると、中間報告におけるほとんどの部分で疑問が生じる。それは何故か。
<第1章>
<第2章>事故の概要
・運転中の1~3号機は自動スクラム(緊急停止)が達成された。
コメント:これは地震後か。津波後か。
・地震と津波でほぼ全ての交流電源が失われ、原子炉や使用済み燃料プールが冷却不能に陥った。
コメント:地震と津波では相当のタイムラグがある。電源喪失と冷却不能にもタイムラグがあるのではないか。
<第3章>組織的対応状況
 ▽国の対応
・政府は同七時三分、原子力緊急事態宣言を出した。
コメント:政府と言っても、誰、どのメンバーで出したのか。
・原子力災害対策本部を首相官邸に設置。
コメント:何時設置したか。宣言と同時に行ったのか。
・官邸五階に菅直人首相や閣僚らが集まった。
コメント:何時に何人、どのようなメンバーが集まったのか。3.11.07.03原子力緊急事態宣言後か前か。
・経済産業省の緊急時対応センター(ERC)に原災本部事務局が置かれた
コメント:原災本部事務局の設置は何時か、事務局員は何人か。
・原子力安全・保安院は、東電のテレビ会議システムを導入する発想がなく、東電本店に職員も派遣しなかった。
コメント:原子力安全・保安院は東電とのテレビ会議システムの無い状態で日頃どのような連携にあったのか。
・保安院は東電に「情報を早く上げてほしい」と指示
コメント:保安院は東電以外からの情報収集をどのように行ったのか。
・保安院は時宜を得た情報収集をせず、指導、助言も遅れ、決定に影響を与えることはほとんどなかった。
コメント:保安院は原子炉監視の現場、国の原子力緊急事態への即対応機関、全然機能していないのは何故か。
・官邸地下の危機管理センターには保安院や関係省庁の局長級の緊急参集チームがいた。 
コメント:緊急参集チームはERCとは異なるのか。緊急参集は出来たのか、どのような情報が収集されたのか。
・保安院は官邸五階の首相執務室の決定を十分把握できなかった。
コメント:保安院は国(官邸)に提言すべき立場であるが何故連携できていないのか。 
 ▽発電所との連絡
・官邸五階では東電の武黒一郎フェローらが本店や福島第一原発の吉田昌郎所長に電話し、助言していた。
コメント:何故、保安院でなくて東電なのか。保安院は関係ないのか。
・ほとんどの場合、既に吉田所長が具体的措置を講じていた。
コメント:吉田所長は東電にほとんど報告しているにも関わらず、改めて武黒フェローは何を聞いたのか。
・情報は限られ、武黒フェローは1号機の爆発をテレビで知った。
コメント:そもそも官邸に詰める武黒フェローの役割は何か。東電の窓口でなかったのか。
・菅首相は内閣官房参与に小佐古敏荘東京大教授を任命したが、助言が組織法上明確でなく、混乱が生じた。
コメント:小佐古教授が緊急事態に対応できる人材なのか。単に組織法条の問題か。
 ▽オフサイトセンター
・福島第一原発の免震重要棟の保安検査官ら五人は十二日、現地対策拠点オフサイトセンターに退避。
コメント:保安検査官が退避したのでは緊急事態現場は保安院として全然把握されないで良いのか。
・四人が再派遣されたが、3号機の爆発などで十四日、再び退避した。
コメント:再派遣という唐突さ、保安院は現場を最後まで見届ける役割ではなかったのか。
・オフサイトセンターには保安院、文部科学省、原子力安全委員会、防衛省以外の省庁は当初職員を派遣しなかった。
コメント:派遣は誰によって指示されたのか。オフサイトセンターの統括は誰が行ったのか。
・緊急時対策支援システム(ERSS)のデータを入手できず放射性物質を遮断する空気浄化フィルターもなかった。
コメント:ERSSは誰が管理し、何処で操作されていたのか。
・現地対策本部は原災本部の一部権限委譲の告示がないまま各種決定をした。
コメント:現地対策本部は何時結成されたのか。国の原災本部との関係はどうであったか。 
<第4章>発電所における事故対処
 ▽IC手動停止
・発電所では対策本部が免震重要棟に置かれ、本店とテレビ会議システムで情報を共有した。
コメント:対策本部での保安院の役割は何か。
・1号機は原子炉を冷やす非常用復水器(IC)、2号機、3号機は原子炉隔離時冷却系(RCIC)が起動した。
コメント:ICRCICが起動している事実は何時どのように把握されたのか。
・十一日午後三時三分、運転員が1号機のICを停止させた。その後三回起動させ、原子炉の圧力を調整した。
コメント:地震発生は144618.1秒である。その後どのようにIC 起動の確認したのか。
・地震発生直後、ICの機能を損なうような配管破断はなかったと考えるのが合理的と思われる。
コメント:1号機の試験の詳細無しにこの結論を何故出せるのか。
 ▽津波到達
・津波で海水系ポンプや原子炉建屋、非常用発電機などが水をかぶった。
コメント:何時、どの程度の被ったか。
・吉田所長は考えていた過酷事故をはるかに超える事態に、とっさに何をしていいのか思い付かなかった
コメント:総責任者としてはあってはならない事態である。過酷事故への想定がなかったのでは。
・まず法令上の手続きをしようと考え、同三時四十二分「全交流電源喪失」発生を官庁に通報した。
コメント:3.11.16.42「全交流電源喪失」発信は、官庁の何処に通報されたか。
・1号機、2号機の注水が確認できず、同四時四十五分「非常用炉心冷却装置注水不能」を報告した。
コメント:3.11.16.45「非常用炉心冷却装置注水不能」の報告は、何処に報告されたのか。
3.11.同五時十五分、発電所対策本部は、1号機炉心露出まで一時間と予測した。
コメント:「1号機炉心露出まで1時間」の根拠はどのようなものだったか。
 ▽操作経験なし
・1号機ICは電源喪失によって機能をほぼ喪失した可能性が高い。
コメント:電源喪失が3.11.16.42に確認されたが何時何分に起きたのか。
3.11.同五十分運転員がICの確認に向かった際、放射線量が上昇。既に炉心の露出が始まっていた可能性がある。
コメント:発電所対策本部の炉心露出予測開始時間よりも30分も早いが対策は講じたのか。
・1号機の全運転員はIC作動の経験がなく、応用動作ができる訓練を受けていなかった。 
コメント:運転員の資格審査は保安院の役割、その責任はどうなるのか。
3.11同六時十八分、発電所対策本部と本店は、ICの弁を開けたとの報告を受け、ICの作動を認識した。
コメント:3.11.18.18分は、16.42電源喪失、16.45分注水不能、17.50分放射線量上昇後、何故ICは作動したのか。
・発電所対策本部と本店は、それまで弁が閉まっており、ICが作動していなかったことを理解した形跡はない。
コメント:発電所対策本部、本店はテレビ会議を共有しているのに何故状況を認識していないのか。
 ▽保安検査官
・保安院の保安検査官は十二日未明まで免震重要棟二階にいた。
コメント:保安検査官は12日未明にオフサイトセンター退避したのは炉心露出予想を知ってか。
・保安検査官は緊急時対策室横の会議室にとどまり、データをオフサイトセンターや保安院に報告するだけだった。
コメント:保安検査官は何処の保安院に報告したのか。
・保安院の保安検査官は指導や助言もせず、事故対策に全く寄与しなかった。
コメント:保安検査官は保安院からの指示を受けていないのか。
 ▽IC作動誤認
・電源喪失した時点でICが機能していないのに、作動中と誤信していた。
コメント:この誤信はをチェックする体制が無いということか。
・1号機は十二日午前二時四十五分、原子炉の圧力が低下。炉心溶融が相当進んでいた可能性が高い。
コメント:3.12.02.151号機炉心露出、その後実際に放射線量上昇、ここは可能性ではない。
・同四時以降、消防車を使った注水を開始。水槽の淡水がなくなった午後二時五十四分、吉田所長は海水注入を指示。
コメント:3.12.02.54分水槽の淡水がなくなり、水槽の淡水量について認識されていたか。
・同三時半に準備を終えたが、直後に1号機原子炉建屋が水素爆発した。
コメント:3.12.03.30分に海水注入準備完了。水素爆発は海水注水注水以前か以後か。 
・注水が遅れた一因はICの作動状態の誤認識にある。
コメント:淡水注水は水素爆発以前から行われたいた。水素爆発が何故IC作動誤認識に繋がるのか。
 ▽ベント準備
・十二日午前七時十一分、菅首相がヘリコプターで到着。
コメント:管首相はどのような目的で緊急事態の現地に来たのか。
・吉田所長は同九時をめどにベント(蒸気を放出して圧力を下げる措置)を実施すると述べた。
コメント:ベント実施は原子炉外に放射能物質をばら撒く。実施は必死の作業だったのか。
・午後二時五十分に格納容器の圧力が低下、ベント成功と判断。
コメント:圧力低下では成功と見て良いが、放射性物質拡散をどのように考えたか。
・ベントに時間がかかったのはICの作動状態の誤認に起因すると考えられる。
コメント:何故ここでもIC作動誤認が影響すると言えるのか。
 ▽海水注入の中断指示
・十二日午後三時三十六分、1号機で水素爆発が起き、作業員は免震重要棟に退避。
コメント:3.12.03.30水素爆発確認、免震重要棟には作業員全員(何名)が避難したか。 
・吉田所長は同五時二十分、海水注入に必要な作業の再開を決断した。
コメント:3.12.14.52海水注水準備作業開始にも関わらず、この間ベントが何故行われたのか。誰の指示か。
・消防ホースが損傷、引き直しが必要だったが、同七時四分、注入できるようになった。 
コメント:3.12.18.04分海水注水開始。吉田所長の意思決定以来のタイムラグ4時間は大き過ぎるのは何故か。
・海水注入開始は同七時十五分までに官邸の緊急参集チームに伝達された。
コメント:官邸には緊急時対応センター(ERC)に原災本部事務局がある。緊急参集チームとは何か。
・官邸五階の菅首相、武黒フェローらには伝わっていなかった。
コメント:武黒フェローはERCでも緊急参集チームでも無いのか。
・吉田所長は武黒フェローからの電話に「もう海水の注入を開始している」と回答。
コメント:吉田所長は武黒フェロー以外にこの事実は伝えていなかったのか。
・武黒フェローは「今官邸で検討中だから待ってほしい」と強く要請した。
コメント:武黒フェローは誰の要請を受けたのか。
・注水は試験注水と位置付けることにした。
コメント:この決定・説明は誰が行ったのか。この緊急事態で試験注水はあり得るのか。 
・(その後、菅首相が海水注入を了解して武黒フェローは試験的注水の説明をする機会を失った)。
コメント:管首相の了解はどのような知見に基づくものか。
・吉田所長は本店に相談したが、中断もやむを得ないという意見だった。
コメント:本店の判断はどのような根拠によるものか。
・吉田所長は自己の責任で継続を判断した。
コメント:災害現場には最大の権限が認められるべきであるが、どうであったのか。
・吉田所長は担当者を呼んでテレビ会議のマイクに入らないよう小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」と命令した。
コメント:吉田所長は何故、海水注入をやめないように命令したのか。
・その後、対策室全体に響き渡る声で中断を指示した。
コメント:何故、吉田所長は実行とは異なる中断を指示したのか。
ERCは東電本店から中断の連絡を受け、官邸の参集チームに伝えたが、五階の首相らに伝達されなかった。
コメント:管首相とERCとの連携が不透明。
・その後、武黒フェローは首相の了解が得られたと連絡、あらためて吉田所長は同八時二十分再開を指示した。
コメント:結果的に吉田所長は組織規律違反。首相の超組織的判断。どちらが正しかったのか。
 ▽3号機の注水停止
・十二日午前十一時三十六分に3号機のRCICが停止した後、午後零時三十五分に高圧注水系(HPCI)が起動。
コメント:3.11.16.42電源喪失にも関わらず、RCICHPCIはどのように作動していたのか。
・低い回転数での運転が続き、設備が壊れることを恐れた運転員は、安定した経路から注水するため、十三日午前二時四十二分、HPCIを手動で停止した。
コメント:運転員の停止行動はマニュアル範囲か
・停止は一部の話し合いで決められた。同三時五十五分吉田所長は報告を受け、停止を知った。
コメント:一部の話し合いとは、吉田所長は停止を知ってどのように判断したのか。
・代替注水手段は確保できず、HPCIも再起動できないまま七時間近く経過。圧力上昇、炉心損傷が進んだ。
コメント:低い回転数の原因は、再起動出来ない原因は。
・3号機の海水注入について、官邸五階で「海水を入れると廃炉につながる」「淡水があるなら、それを使えばいいのではないか」などの意見が出た。
コメント:官邸はどのような根拠で誰がこの種の意見がしたのか。淡水の枯渇を知っていたのか。
・これを電話で伝えられた吉田所長は海水注入の作業を中断、淡水を全て使うよう注水経路変更を指示。
コメント:このとき吉田所長は淡水の総量を把握していたのか。
・現場では既に海水注入の準備ができていたが、がれきに埋没した防火水槽の取水口を探し、淡水の確保に努めた。
コメント:淡水注入か海水注入かの選択の混乱は、現場作業の混乱、注水作業の遅延を齎したのでは。
・午前九時二十五分、淡水注水を開始したが、午後零時二十分、淡水が枯渇。注水経路を切り替えた。
コメント:3.1209.25淡水注入開始、12.20淡水枯渇は吉田所長にとって予め分っていたことではないか。
・海水注入が開始されたのは午後一時十二分。注水が途切れた上、線量の高い中で作業員に余分な作業をさせた。
コメント:高い線量とはどの程度か。
 ▽建屋の水素爆発
・本店や現場は格納容器の水素爆発の危険性は意識していたが水素が建屋に充満し爆発する危険は考えていなかった。
コメント:意識していたが危険を考えなかったとはどういうことか。
・1号機水素爆発で、吉田所長は地震かと考えた。
コメント:その他の現場の運転員はどうだったのか。
・その後、タービン建屋にある発電機に封入された水素が爆発したと考えた。
コメント:水素爆発を起きことを吉田所長以外誰も気がつかなかったのか。
・タービン建屋に壊れた形跡が見当たらないとの報告が入った。その後、テレビの映像で状況が把握できた。
コメント:テレビ等取材等現場ではどのように活用された。
・国内外の文献で以前に建屋の爆発を扱った文献は二件しかなく。
コメント:原子力以外でも水素爆発は多いが、どのように扱われていたのか。
・国際原子力機関(IAEA)などで議論された形跡はない。
コメント:IAEAは信用できない組織であると結論してよいのか。
 ▽退避バスを手配
・十四日正午以降、2号機の水位低下が顕著になり、早期に注水をする必要があった。 
コメント:1号機、3号機で経験済みの冷却機能喪失との関係はどうだったのか。
・吉田所長はベント準備をして圧力の逃げ道をつくり、原子炉を減圧し、3.14.12.00海水注入するよう指示した。
コメント:ベントによる放射性物質の拡散、ベント誤の水素爆発等はどのように認識されたのか。
・原子力安全委の班目春樹委員長は吉田所長に電話でベント準備を待たずに減圧して注水すべきとの意見を述べた。
コメント:委員長の見解はベント無しに減圧できるということか。
・吉田所長は本店と相談、ベント準備を急ぐべきだとの意見で一致。
コメント:本店と吉田所長は委員長見解を無視したということか。。
・その後ベント準備に時間を要すると分かり、本店の清水正孝社長は班目委員長の意見に従うよう指示した。
コメント:ベント準備に時間がかかるということは経験済みではなかったのか。
・午後七時五十七分、連続注水を開始しても、原子炉圧力が上昇して注水できなくなった。
コメント:3.14.19.57連続注水不能の原因は何か。
・燃料が全部露出していると考えられ、吉田所長は、溶け落ちた燃料が格納容器も貫通する「チャイナ・シンドローム」のような最悪の事態になりかねないと考えた。
コメント:チャイナ・シンドローム=メルトダウンについての考えを吉田所長は誰にも知らさなかったのか。
・1号機、3号機でも作業が継続できなくなり、2号機と同様の事態に陥ると考えた。 
コメント:この事態は吉田所長1人では判断・処理できない事態である。吉田所長は誰に相談するれば良かったのか。
・自らの死をも覚悟したが、免震重要棟にいた事務系の東電社員や協力企業の社員の人命を守らなければならないと考え、本店と相談、状況次第では必要な要員を残し、ほかは退避させようと判断。
コメント:この時点で、本店は東電社員や協力企業の社員の人命以外の周辺住民、日本人をどのように判断したのか。
・動揺を避けるため、総務班のごく一部に、退避用のバスを手配するよう指示した。
コメント:本店、吉田所長は原子炉メルトダウンをどのように処理しようとしたのか。 
・結局、十五日午前一時台から継続的に注水可能となった。
コメント:注水可能になったのは根拠は何か。
・なお一連の事故対応で、原発にいる者全員を退避させることを考えた者は確認できなかった。
コメント:誰もが、吉田所長と同じく死を覚悟したことか。
・午前六時、2号機の中央操作室に入った運転員が爆発音を聞いたため、幹部ら約五十人を残し、約六百五十人を福島第二原発に退避させた。
コメント:50人は何処に待機したのか。それは最低運転員の数か。
<第5章>発電所外の事故対応
 ▽SPEEDI
・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は外部電源喪失でデータ伝送ができず、放射性物質の拡散予測ができなかった。
コメント:SPEEDIへのデータ伝送が出来なかったということか。
・管理する原子力安全技術センターが単位量放出を仮定して予測したが、文科省、原子力安全委は活用しなかった。
コメント:文科省、原子力安全委が活用しなかった理由は何か。
・拡散方向や相対的分布量を予測でき、少なくとも避難方向の判断に有効だった。
コメント:相対的分布量をどの程度詳細に分析したか。
・各機関はさまざまな仮定で計算したが、結果はしばらく公表せず避難に活用されなかった。
コメント:SPEEDIの結果が公表されるなかったのは、何故か。
 ▽住民避難
・避難指示は現地対策本部長が市町村に伝えることになっていたが、自治体が認知したのはほとんど、テレビなどの報道によってだった。
コメント:この時、空路利用(ヘリコプター)は無理だったのか。
・避難用バスの割り振りはスムーズにいかず、道路損壊や渋滞で必要な自治体に行き渡らなかった。
コメント:ここでも、空路利用は考えなかったのか。
 ▽東電の放射線管理
・東電は当初、社内規定による管理区域を指定し直さなかった。
コメント:3.11.07.03原子力緊急事態宣言が東電には及ばなかったということか。
・五月十日ごろまで、放射線業務従事者に三十分程度の簡易な説明や指導を受けさせただけで作業をさせた。
コメント:30分の根拠は何か。
放射線管理手帳を持たずに作業する者も生じた。
コメント:放射線管理手帳の携帯すら指示しなかったということか。
・東電は警報付きポケット線量計約五千個を配備していたが、大部分は津波で使用できなくなった。
コメント:用意されたポケット線量計がこの時点での強度の放射線量に耐ええたものなのか。
・三月十二~十三日に柏崎刈羽原発から五百個が届いたが、担当者間の連絡が不十分で四月一日まで保管されたまま。
コメント:非常事態であっても、担当者間の連絡不十分ということか。
 ▽住民の被ばく
・福島県は三月十一日夜からスクリーニングの実施を決め、翌日開始。人手が足りず国や大学などの支援を得た。
コメント:スクリーニングの実施には、SPEEDIの結果は利用しようとしたのか利用したのか。
・県内の初期被ばく医療機関のうち三病院は第一原発から半径十キロ圏内。避難区域に含まれ、機能しなかった。
コメント:三病院以外の病院の状況は。20km圏内はどうか。SPEEDIの結果は反映されたか。
 ▽農畜産物の汚染
・事故以前は放射性物質に汚染された飲食物を直接規制する基準はなかった。
コメント:広島・長崎、チェルノブイリ、スリーマイルの結果の利用はなかったのか。 
・厚生労働省は国内で流通する飲食物が放射性物質で汚染された場合の基準を検討したことはなかった。
コメント:国の放射線行政はゼロということか。
・十五日に雑草から高濃度の放射性物質が検出され、担当者は対策が必要と認識した。 
コメント:放射性物質が検出されて対応とはどういう事態か。
・食品衛生法に基づく対応は考えていなかった。
コメント:食品衛生法とはどのようなものか。
・農林水産省は風評被害防止のため基準が必要と考え、厚労省に強く要望した。
コメント:農林水産省は風評被害防止は考えても、放射線被害についての考えは無いのか。
・厚労省は原子力安全委の防災指針の指標を規制値とすることにした。
コメント:原子力安全委は原発推進での防災指針、厚生労働省は放射線による人体への影響を配慮しないのか。
・牛肉から規制値を超える放射性セシウムが検出された。
コメント:この規制値は何処で作られたものか。
・農水省が出した飼養管理通知が畜産農家にのみ宛てられ、稲わら農家に伝えられず、畜産農家にも十分に周知されなかったためだ。
コメント:飼養管理はその飼料については触れないのか。
 ▽国民への情報提供
・保安院は三月十二日、記者に「炉心溶融の可能性」と説明したが、官邸で発表への懸念があった。
コメント:3.12.02.151号機炉心露出は吉田所長の考えを保安院も知っていた。記者は公表しなかったのか。
・「炉心溶融の可能性」の情報を受け、寺坂信昭保安院長が担当者に事前に官邸の了解を得るよう指示した。
コメント:「炉心溶融の可能性」を記者に説明し、その後官邸に了解を得るとはどういうことか。
・十三日にかけて保安院は「炉心溶融」という表現を使わず、可能性について肯定的から不明と説明が変わった。
コメント:これは官邸の指示か。保安院単独か。この犯罪を誰が行ったことか。
・四月に「燃料ペレットの溶融」との表現を使うこととした。
コメント:炉心余裕をペレット溶融と言うことで何を隠そうとしたのか。
 三月十二日の県災害対策本部会議で東電福島事務所長が1号機原子炉建屋爆発後の写真を公表した。
コメント:東電福島事務所長は吉田所長ではなく別人か、何故名前が公表されない。
・官邸から注意を受け、東電は事前に官邸の了解を得るようになった。
コメント:東電は、これまで官邸の了解をどんな事件、どの程度取り付けてきたのか。 
 ▽「直ちに」の表現
・政府はたびたび放射線について「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」と説明した。
コメント:放射線被害は、即時的なものと事後的なものがあることを知ってのことか。 
・「心配する必要はない」と理解する者と「長期的には影響がある」と理解する者があり得る。
コメント:放射線事故は両方に絡んでいるので、理解の問題では無いのでは。
・踏み込んだ説明はされなかった。
コメント:知識不足のため、踏み込んだ説明が出来なかったのではないか。
<第6章>事故の未然防止 被害の拡大防止
 ▽地震の影響
・東電は解析で、重要な機器・配管に地震動のみによる大きな損傷はなかったと推定している。
コメント:地震の影響は損傷の大小に関わらず、次に影響を与えるのではないか。
・現時点では被害の多くが直接確認することは困難で、あくまで推定である。
コメント:推定であればなおさら、被害の可能性を広範囲に評価することが大切である。 
 ▽〇二年の津波対策
・一九六六~七二年の設置許可申請時、対策が必要な波高は六〇年チリ津波の最高潮位三・一二メートルとされた。
コメント:何故、近年のチリ津波を参考にしたか。地震は長期周期である。
・土木学会の津波評価部会は二〇〇二年に「原子力発電所の津波評価技術」を公表。
コメント:土木学会は建物の耐震性を評価したのであって、建物内部の原子炉、その制御を評価したわけではない。
・各電力事業者は自主的に津波評価を実施、東電は福島第一原発で最大波高五・七メートルとし、非常用発電機のかさ上げをした。
コメント:何故5.7mであるのか。
 ▽〇八年の社内試算
・政府の地震調査研究推進本部が〇二年に公表した見解に基づき、東電が〇八年五月~六月に試算した結果、最大15.7メートルとの結果が得られた。
コメント:地震調査推進本部と土木学会の津波評価部会の関係はどうなっているのか。 
・同年六月十日ごろ、原子力・立地本部の武藤栄副本部長や吉田昌郎原子力設備管理部長(いずれも当時)らに担当者から説明が行われた。
コメント:2008.06この説明は純粋に津波に関するもので、被害については別途検証が必要であったのでは。
・七月三十一日ごろ二回目の説明が行われ、担当者は防潮堤で津波の遡上(そじょう)水位を一~二メートル程度まで低減できるが、数百億円規模の費用と約四年の時間が必要と説明。
コメント:この算定根拠はどのようなものか。この程度の低減で15.7mは耐ええるのか。 
・武藤、吉田両氏は、仮定の上の試算であり、そのような津波は実際には来ないと考えていた。
コメント:こうした独断はあってよいものか。
・武藤、吉田両氏は別の理由として、柏崎刈羽原発の運転再開に向けた対応に追われており、津波への意識は低かったことを挙げている。
コメント:意識の低さで済まされるものか。
・直ちに設計に反映させるレベルのものではないとして、念のため土木学会に検討してもらうことが決定された。
コメント:何故土木学会か。プラント等の被害予測は必要ないか。
・防潮堤設置の案は、原発を守るために周辺集落を犠牲にすることになりかねず社会的に受け入れられないだろうといった否定的発言もあった。
コメント:原発を守るということはどのようなことか。周辺集落への犠牲とは具体的に何か。
・決定は八月までに武黒一郎本部長(当時)に報告され、追認された。
コメント:この決定は、本部長レベルで判断できるものか。
・吉田部長は貞観津波の研究論文に基づく評価で得た最大九・二メートルの結果も、同様に判断、学会に検討を依頼することとした。
コメント:検討は15.7mと9.2mということか。
 ▽保安院の対応
・保安院は〇九年八月、東電に津波評価の現状説明を求めた。
コメント:保安院は東電に現状を説明させる権限があると見て良いか。
・吉田部長は明示的に求められるまでは波高試算の説明は不要と担当者に指示。
コメント:明示的に求められるとは保安院からのコとか。
・保安院が要請したため翌九月、貞観津波の試算を東電が説明した。
コメント:どのような説明であったのか。
・保安院の審査官はポンプの電動機が水没し原子炉冷却機能が失われるレベルと認識した。
コメント:18.7mのことか。それとも貞観津波9.2mに対する評価のことか。
・そうした津波発生の切迫性を感じず、津波対策の検討を促したものの対策工事の要求はせず、上司の森山善範審議官(原子力安全基盤担当)らに報告もしなかった。
コメント:保安院は何故要求しなかったのか。結果を上司に報告しなかったのは何故か。 
・東電は保安院の態度から了承が得られたと考えた。
コメント:東電は憶測で了承が得られたと考えたのか。
・森山審議官は専門家の評価会合に課長として出席していたが部下に貞観津波の話の進展を尋ねることはなかった。
コメント:森山審議官は部下の要求を知っていたのではないか。
・一〇年三月に部下に津波対策の状況を尋ね「貞観の津波は簡単な計算でも敷地高は超える結果になっている。防潮堤を造るなどの対策が必要になると思う」と報告を受けた。
コメント:この要請を東電は受けていたにも関わらず、追認をしなかったのは何故か。 
・森山審議官は、数値を確認せず、評価会合で有識者に議論してもらうこともしなかった。
コメント:審議官が独断できることか。
・森山審議官は「津波の認識は低く、情報の受け止め方の感度が良くなかった」と供述した。
コメント:この供述は罪を認めたことか。
・保安院は今年二月、地震調査研究推進本部が四月ごろに貞観津波の最近の知見を踏まえ活断層の長期評価手法を改定するとの情報を得た。
コメント:保安院は2010.03貞観地震の評価を知っていた。地震調査研究本部の長期評価手法改訂が何故4月なのか。
・改定されれば福島原発の安全性確保の説明を求められる事態に進展する恐れがあると考えた。
コメント:誰に対する説明を恐れたのか。
・保安院は三月七日に東電から津波対策の現状を聴取。
コメント:2011.03.07の保安院の聴取の内容は具体的に何か。
・東電は推進本部を所管する文科省に「貞観地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい」と三月三日に要請したことを紹介、一五・七メートルとの試算も説明した。
コメント:誰のため、何を行うための要請か。
・保安院の室長らは「なるべく早く津波対策を検討し、報告書を提出してほしい」と述べた。
コメント:保安院の要請は何時か。
・保安院の審査官は「津波評価技術の改定がなされた場合、その後で報告書が提出されれば、世間的に見たらアウトになってしまう」と述べた。
コメント:保安院は難のために設立されたのか。
・対策工事の実施を明確には要求せず、上司に報告しないまま三月十一日の地震の日を迎えた。
コメント:対策工事の実施は、報告書もなし、評価技術も無しで、どのように実施するのか。
 ▽東海第二との比較
・日本原子力発電東海第二原発では〇七年に茨城県が公表した「津波浸水想定区域図」に基づき、ポンプ室の側壁高さを四・九一メートルから六・一一メートルに増設した。五・四メートルの津波が襲ったが、冷却に必要な電源を確保できた。
コメント:2007年「津波浸水想定区域図」が3.11の津波の大きさ予想できていない。何故同評価するか。。
 ▽過酷事故対策
・原子力安全委は米スリーマイルアイランド事故、旧ソ連チェルノブイリ事故を受け、九二年五月、事業者の自主的な過酷事故対策を強く奨励。
コメント:過去の事故は両方とも自主的な対策では済まなかったのではないか。
・通商産業省(当時)は九二年七月、自主的取り組みとして過酷事故対策を進めるよう指示した。
コメント:自主的対策が奨励から指示に変って、どのような対応が求められたのか。
・事業者は〇二年三月までにすべての原発において対策の整備を完了。
コメント:具体的に整備はどのように行われたのか。
・東電は〇二年五月までに福島第一原発で手順書などを整備したが、事前の想定を超えた自然災害の対処方策は検討していなかった。
コメント:事前の想定を超えた自然災害とは何か。
・吉田所長は「新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発において事態を収束できたことから、設計が正しかったという評価になってしまい、設計基準を超える自然災害の発生を想定することはなかった」と述べた。
コメント:柏崎刈羽原発事態収拾は想定内だったが、3.11福島では想定外だったということか。
<第7章>問題点の考察と提言
 ▽事故後の政府対応
・現地対策本部の設置場所のオフサイトセンターが放射性物質による汚染に十分配慮しておらず、使用不能に陥った。コメント:オフサイトセンターの設置役割が不明確であったのでは。
・大規模災害でも機能を維持できるよう速やかに整備を図る必要がある。
コメント:大規模災害が想定されていなかった。今更整備を図るとはどのようなことか。 
・事故対応の意思決定が行われたのは主に官邸五階で五階と地下の参集チームのコミュニケーションが不十分だった。コメント:参集チームの位置づけが出来ていない。
・情報の入手ルートが確立されておらず国民への情報提供にも課題が残った。
コメント:情報の入手ルートと言っても官邸5階と地下の参集チームの位置づけだけの問題ではないのか。
 ▽原発の事故後の対応
・1号機のICの機能の認識や操作の習熟が不足しており、対処遅延の連鎖を招いた。
コメント:単なる習熟の問題だけか。
・3号機ではHPCIを手動停止した後代替注水の操作に失敗、事後報告が遅れ、注水が途切れたことは極めて遺憾。コメント:遺憾ではなく、作業ルールが確立していないだけではないのか。
・代替注水の緊急性の認識が欠如していた。
コメント:代替注水では、想定された事故以上であれば、果たして認識の欠如だけでは済まされない。
・適切に対処していれば炉心損傷の進行を緩和、放射性物質の放出を少なくできた可能性がある。
コメント:適切な対処が出来なかったほどの想定外の事故だったとは言えないか。
 ▽被害拡大の防止対策
・避難の判断材料となるモニタリング装置の多くが津波や停電で使用不能になった。
コメント:チェルノブイリ事故を知っても、モニタリング方法に対する考え方に変動はなかったのか。
SPEEDIが避難指示の意思決定に活用されず、指示は「ともかく逃げろ」というに等しくきめ細かさに欠けた。
コメント:SPEEDIの結果が直に公表・利用されなかったことが問題ではなかったのか。 
・汚染された水を、周辺諸国への事前説明をしないまま海洋放出したことは、わが国の対応に不信感を招いた。
コメント:周辺諸国だけでなく、周辺住民への事前説明が必要であるのでは。
 ▽不適切だった津波・過酷事故対策
・過酷対策は保安院の役割だが、その努力がなされた形跡はなかった。
コメント:保安院には過酷対策の位置づけがなかったのでは。
・対策を見直す契機はあったが見直しはなされず事故を防げなかった。具体的対策を講じておくことが望まれた。
コメント:東電に自主的対策を委ねたことがこの事故の全ての始まりではなかったか。 
・過酷事故対策が実施されたのは機械故障や人的ミスなどだけで、地震や津波など外的事象は対象にならなかった。
コメント:過酷事故対策が機械故障、人的ミスについても想定外であったのではないか。 
・民営である電力事業者が発生確率が低い津波などの対策に前向きでないのはある意味当然で自主保安の限界を示す。
コメント:前向きではないのがある意味当然とはどういう意味か。自主保安の限界とはどういう意味か。
 ▽安全規制組織
・政府は新組織「原子力安全庁」(仮称)発足を目指している。
コメント:組織を発足させれば良いというものでもない。どのような反省があるのか。 
・安全規制機関として実を挙げるため、独立性と透明性の確保、緊急事態に対応する組織力、情報提供の役割の自覚、人材確保と専門能力の向上に留意するよう要望する。
コメント:従来では、この種の機能がなかったということか。
 ▽まとめ
・問題の多くは(1)津波による過酷事故対策の欠如
コメント:過酷事故は津波によるだけのもの無い。
・(2)複合災害という視点の欠如
コメント:複合災害は複合を構成する要素の問題である。
・(3)全体像を見る視点の欠如
コメント:全体像とは原子炉と人類の将来という観点でよいのか。
・いったん事故が起きると重大な被害を生じる恐れのある巨大システムの災害対策は、考え方の枠組み(パラダイム)の転換が求められている。
コメント:災害対策は考え方の変換ではなくて、システム構築の変換の問題である。
・事故後、関係者から「想定外の事象が起こった」との発言が相次いだが、どんなに発生確率が低い事象であっても「あり得ることは起こり得る」と考えるべきである。
コメント:発生確率の大小ではなく、発生原因の構成要素をどのように多様化させたかである。
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