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2012年1月11日水曜日

20111229 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」12/2〜ペスト流行時代と今の比較

From  満田正
日付  2011年12月29日
Re:  「福島原子炉包囲日誌」12/29 ペスト流行時代と今の比較

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なお、このメール配信、私の判断で、勝手に送らせて頂いています。
配信不要であれば、連絡くださるようにお願いします。

K 様
ペスト流行時代と原子炉放射能禍の今の比較、全く難しくて手が出ません。
カミュー全集は50年前の学生時代に読んだのですが、全く頭に残っていません。
読み直そうと思うのですが、引越し騒ぎで、本の所在が分らずどうにもなりません。
ただ、当時のペスト、現在の放射能、見えない、感じない、臭わないということでは同じかも知れません。
今はペストの方はペスト菌ウイルスとして見えますが。
ただ、ペストは人口増加の抑制剤で、果たして放射能がその種の役割を果たすのかは分りません。
世界中にばら撒かれた、核兵器、原子炉、原発が今後どの程度の災禍になるについては予想できません。
津波による損傷と言いながら、実は原子炉の耐久年数の問題が議論されず、飛行機や建物と同じに、それ以上にメンテナンスをしておかねばならない代物なのに、ほとんどの人々が核兵器、原子炉、原発から逃げてしまっている状態では、ほとんど予想する材料すら喪失していると言うのが実情では無いでしょうか。
人々は技術革新、科学革命、産業革命以降、プラス思考、右上がりカーブに慣らされてきています。この世紀、この習性を逆転させることが出来るのかについても、心細い限りです。未だに、ほとんどの経済学者がインフレスパイラルを提唱しています。反原発・脱原発を提唱しても、インフレスパイラルが続く限り、核兵器・原子炉・原発の廃棄すら難しいのではないでしょうか。
東日本大震災は2万人余の命を奪い、数百万人の人々を路頭に放り出し、それら人々の生産活動そのものを奪ってしまったわけですから、その社会的損失はGNPに換算しても、デフレスパイラルを加速したように思えるわけです。でも、これをチャンスとみる経済アニマルがインフレスパイラルに逆転させる可能性を示唆しています。
実際にそうなるような傾向にあるわけですが、人々は、改めて、自らが、何を選択してきたのか、何を選択しようとしてきたのかを問われます。
これは、人々が慣れ親しんできた社会構造の問題であり、3.11が起きても修正できなかった人々の習性の問題であろうかと思います。それでは社会構造は変わるのか、変えれるのか、それは人々の習性を変えれるのか、変わるのかほどに難しい問題です。
人の心を変えれると挑戦してきた宗教、数々のイデオロギー集団も所詮は現在の社会構造の補完、もしくは補強の役割しか果たしていないことは明らかです。
私は、この地平からの出発を考えます。
人々の習性と社会構造にがんじがらめに呪縛された、私自身を変えれるのか問題です。 
それは、人々の習性と社会構造そのもの変革です。
私自身が変えれないようでは、人々の習性と社会構造の変革は存在し得ない。
ただ、私自身が受けている呪縛についてはそう簡単に解けるものでありません。
何をどうすれば解けるかについては何の予想もつきません。
私は、私が感じるままの呪縛に立ち向かう勇気を奮い立たせることのみを考えます。
人間とは昼活動し、夜眠るように、活動と休息を必要とします。
若者と老人との交代のように、世代交代は付き物です。
やがて死すとしても、現在取り巻く呪縛との戦いは、継承されるものと淡い期待を持ちます。
勿論、この闘いが、人々の習性と社会構造に関係していることを説明する努力は必要です。
他人を説得するためではなく、己を説得するために必要です。
それが、私の提唱する自己記述です。
自己記述は検証(自己反省・フィードバック)が問われます。
残念ながら、私の自己記述への検証は極めて少ないです。
それは、自己記述の方法論にも関係します。
ただ、自己記述限界と言うものが存在します。
生命体で言えば、生息範囲です。
生命体によっては、細胞のようにミクロの範囲が生息範囲が狭いものもあれば、白熊、イヌワシ、狼、クジラなど大きななど、広いものもあります。人類の生息範囲については、地球規模というのが正確でしょうか。
すると、私の生息範囲、実は自己記述限界が地球規模ということになります。
私はそのように振舞うことを前提とします。
ただ、私の生息範囲は実に狭いようにも思えるのですが、バーチャルな関係を含めると、やはりとてつもない広さになるのです。
リアルとバーチャルを識別の必要はありますが、独立させる必要は無いようです。
ただ、バーチャルを自己記述する方法が確立していないのです。
むしろ、このことが私への人々の習性と社会構造の呪縛に関係するものです。
私にとっての福島原子炉はバーチャルなものです。
3.11事故が報じられてそれを私のリアルな生息範囲に取り込みたいとする欲求は自然なものです。
そこには、バーチャルとしての福島原子炉とリアルとしての福島原子炉との線引きが為されます。
この線引きを巡る綱引きは人々の習性及び社会構造そのものです。
私が提示する福島原子炉包囲網はこの綱引きを自己記述したものです。
私の中での綱引きが、実際に人々の習性と社会構造を変えれるのか、変わるのか検証に繋がります。
すなわち、人々はその本性である好奇心とは裏腹に、バーチャルから報じられる福島原子炉からの逃避行動に走ります。
私の好奇心は福島原子炉を「知りたい」です。
この線引きは人々の習性と社会構造、バーチャルとリアルそのものです。
カミューはカフカの迷路(カオス)の中で、この悩みを記述していたように思います。 
満田

カミューの新聞記者との主人公の医師(リウー)という構図は、ずい分前の話のようで、現代人に通用するのかどうか。
両者とも当時は異邦の世界、現在に生きていれば、両者は体制にべったりの常識的な人々です。もし、そうした人材を現在に発見しようとすれば、橋の下に住む浮浪者とそれを世話するボランティアでしょうか。
ペストと放射能は予測できない出来事であることでは同じですが、放射能は現代文明が作り出したもの、ペストは、震災と同じに自然から腑って湧いたもの。対応の難しさは同じですが、放射能は予測可能でありながら、人間のエゴイズムが作り出したもの、ペストは、人間が自然との共存を願う以上、避けて通れないもの。
橋の下の浮浪者はほとんどが津波で流されて死んでしまい、彼らを助けようとしたボランティアにしても、多くが犠牲になった。勿論多くの犠牲者と同じに助かった人々も多いのであるが、今度は放射能の渦下に置かれている。
今の選択は一方で放射能を避けて通れないものと見做すか、避けて通れるものと見做すか。実は私もその選択に迷いがある。私は過去、原発に対して是々非々の立場であったし、反原発・脱原発の立場に立つには、余りに解決しなければならない問題が多過ぎる。実は、人々の多くはまだ、放射能の被害について何も知らないし、知らされていないし、どちらかと言うと狼少年のようにも思える。
実際にペストとのように、ばったばったと人々が倒れていくのは、ずい分後かも知れないし、それはそれで、戦争や貧困と同じく、人々が許容できる範囲であるかもしれない。
ただ1つ言えることは、放射能は避けて通れたのかも知れないし、今後避けることの可能性はある。
逆にそうしなければ、逆にもっともっと強い、放射性物質が世界中に蔓延することだ。それでも人類が強力な宇宙線放射時代を生き延びたことを考えれば今度も生き残るかも知れない。
所詮は私が生きている時代のことで無いのでと同じく、人々は他人ごとのように見過ごすことが出来る。
そして、ペストに遭遇した人々も同じ立場に置かれたのだと思う。
残念ながら、答えが出せない。

満田

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