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2012年1月11日水曜日

20111221 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」12/21〜福島原子炉事故原因

From  満田正
日付  201112月21日
Re:   「福島原子炉包囲日誌」福島原子炉事故原因

> たまかんねっとの皆様
> たまかんねっと外の皆様には、BCCでお送りしています。
> なお、このメール配信、私の判断で、勝手に送らせて頂いています。
> 配信不要であれば、連絡くださるようにお願いします。

最近になり、ようやく福島原子炉の事故要因がそれらしく報じられるようになっている。
既に事故後9ヶ月、事態は改善されたようには見えないのだが、国側は冷却安定を打ち出した。
それと相俟って、事故原因が各方面から噴出しているのであるが、除染、被害を含めた情報戦が繰り広げられるようになっている。
実際に、何が本当で何がどうなっているのか、ほとんど見分けがつかない。
一番楽な方法は、お上(行政・役人)の言うことに嘘が無いということで、お上からの情報を鵜呑みにすることだが、お上が事故そのもを隠し続けたことで、その選択も危うい感じがする。勿論、事故隠しそのもはマスメディアを通じて知ったもので、お上を信じないことはマスメディアを含めて、全て信じないことに通じる。
ところが、人々が知る方法は、ほぼマスメディアもしくはお上に一元化されているので、とにかく、嘘と本当の見分けがつかないと言うのが現状である。
この時には、自分を信じろと言うことであるが、その自分というのが、もともと表面的にはマスメディやお上にによって作られた自分であるので、その自分を見出すことが難しい。
だから、これは人々が為すがままの生き方しか選べない状況であることを先ず知らなければならない。
これを書く私とて決して違った状況に存在するわけではない。
前おきはさて置いて、私は、3.11以降における私を含む人々の環境変化を感じてきた。
3.11そのものがマスメディア・お上の予想し得ない状況であり、その事実関係も、ますメディア・お上の知る範囲ではなかった。
一番良く知っているのは福島原子炉周辺の人たちである。
勿論、3.11は原子炉事故だけではないので、東北一帯の被害は言葉に言い尽くせるものではない。
そのことを含めて、それは予想できなかったもので、且つその事実はそれに遭遇することなく知りえなかったことである。
この重要な瞬間について、再度検証する必要がある。
すなわち、3.11に直接遭遇した人々の実体験の検証である。
どうみてもその検証がおろそかになってきているように感じる。
私が福島原子炉包囲網を提唱するのも、この検証を展開するためである。
私は、3.11は青梅市に居て、議会報告ビラ配りをしていたので、その振動すら感じず、出会う人々の挨拶の中で地震を知り、やがて、携帯電話の通じないことを知り、有線放送での電車不通、避難通知を知りして、その日を終えた。私の中で、胸騒ぎが刻々高まることを覚えたのも事実である。
その後、青梅市でも計画停電があり、電車の間引き運転がありはするが、その全体像を掴む由も無い。ただ、テレビも新聞も読まない私は、インターネット通信を通じての東日本災害の被害の大きさには、どうしようもない自分を見出すのみだった。
神戸震災もそうだが、今回の震災も「いざ鎌倉」と飛び出すにもそれがどの程度の意味を持つかについても否定的である。それに震災時には人々がごった返していて、実際に外からの人間がどの程度の役割を為せるのかについては、前向きの意見を持たない。人々には、ボランティアをやる前に、やるべきことが一杯あるというのが私の意見である。
今回もそのようにしか振舞えない皮肉れ者の私であるが、たまたま、いわき市の被災した仲間のところへ見舞い物を持って見舞いに行くと言う昔の同志日大全共闘津田沼闘争委員会のメンバーのあることを知り、それならば、見舞い物資だけを沢山積んで、現地に輸送するだけでよいのではと、沢山応援に行くことの無意味さをメールした。混んだ道では大勢行くのは道理に合わないと感じたことを言ってしまった。ところが、逆に同志から、行くのは一台のワンボックスカーで沢山載れるので、私もどうですかと誘われた。この時はふっと困ったが、私は見舞いボランティアでなくて、福島原子炉事故、実際にどうなっているのか知ることに重点を置いた。咄嗟に青梅市の議員にガイガーカウンターの持ち主を探してもらい、それを携えての福島行きとなった。
災害にあった同志への助っ人と言うよりは、放射能汚染がどこまで広がっているのかが私にとっては重要だった。
全く、取ってつけたような説明だが、このことが福島原子炉包囲網への伏線になるとは私にもほとんど気がつくところではない。
それは3月26日のことであるが、事態は深刻で、3.11に原子炉事故現場入りを果たした人々も多い中で、私にはその意識するら無い。
とにかく、昔の同志が被災した同志の見舞いに行く。私はそれに便乗する理由が欲しかった。勿論、便乗する以上、被災した同志の見舞い活動は必要であるし、その後、ボランティア名目で何度も現地を訪れた。それはそれで、被災した同志や家族から喜ばれるし、実際に被災した家屋の復旧作業は、集まった数人では完結しようも無い。私は復旧作業に邁進し、最初の自分の逡巡とは異なりその意味を見出す自分をも見つけた。
その中で、私は被災した同志の言葉、「たとえ原子炉が爆発しようとも、私はここに残る」という言葉を聞いて、私の中に熱いものが走るのを感じた。
私は福島原子炉事故の大きさをどこまで認識していたかは不透明であるが、福島の人々には、原子炉被害を抑止することは市場み霊(原文ママ)であると感じた。それではどうするのかと思ったときに、先ずは福島原子炉包囲網しか無いと咄嗟に思いついた。
とにかく、今後、福島原子炉を安定させるにも、福島地元の協力は必要である。既に20km圏内立ち入り禁止とは言え、福島原子炉を関係者だけの管理下に置くのは間違いであるとの直感を持った。ボランティアのその日に、福島原子炉を遠目でもみたいと仲間に車を走らせて貰ったが、何処からも20km圏内に入ることは勿論、福島原子炉を遠目で見ることすら出来なかった。
私の中に自然と焦りが出た。焦りは福島原子炉包囲網という指針となった。
ほぼ同時期に元住友金属工業の山田某による福島原子炉の安定化に向けた作業をシニアが若者に代わって行おうとする「福島原発行動隊」の呼びかけがあった。住金工業と言えば、私の大学同期もその工場長を勤めていたこともあるし、また、年齢が同年輩から言えば、ともに1960年安保闘争を闘った世代である。同世代の志向パターンが同じであることに今更のの驚きを感じた。
私はこの動きを福島いわき市の同志から知った。私も福島行動隊に登録し、現在に到っている。その後、横浜では、私がかって勤めて関東学院大学のOBが横浜でも反原発の行動を行いたいとのことで参加した。横浜というよりは神奈川、若者が育てあげた9.11反原発かながわアクションにはそれなりの手ごたえがあった。もともと神奈川には横須賀の米軍基地が存在し、反原子力潜水艦の伝統を受け継いでいる。
福島原子炉事故は急速に反原子力運動へのシフトをしたように感じる。私が提唱した福島原子炉包囲網の動きよりは、反原発・脱原発運動へと大きな展開を見せた。明らかに運動の流れが大きく傾き、人々もその行動に期待をこめた。山本太郎、大江健三郎以下既成知識人が我が物顔に集会をリードした。
一方で、福島原子炉への関心は一挙に吹っ飛んだ。
政府・東電が思いのままに、福島原子炉の情報操作、管理統制を強化した。福島原子炉の管理が福島県、政府・国を飛び越えて、東電一本に絞られた。未曾有の人災事故を起し、福島をおろか世界中の人々を恐怖に陥れた犯罪者であったはずの東電が、我が物顔に福島原子炉の管理統制を行い、政府と言えども、それ以外の人々は勿論のこと原子炉への関与を完全に拒絶した。
政府を含め東電以外の人々は、福島原子炉を管理する東電の情報に従い、それに基づいてシミュレーションを行い、また福島原子炉から放出される放射線物質を追いかけ、恐怖に慄くという主従逆転の様相が生み出された。除染、瓦礫処理、医療手当てなど、わが身を心配するための日常性が繰り返されるようになった。
明らかに事故後の新しい生活スタイルであり、それに支えられた経済生活が作り出され、震災復興100兆円という日本経済も新たな展開を伺うようになった。しかしながら、福島原子炉の安定化の目処は全然立っていないのである。それは、福島原子炉が東日本大震災以前の時よりもより危険な状態にあることは誰でも感じていることである。
しかし、人々はその危険を知ろうとしない。
かって、核兵器の怖さを世界の誰よりもよく知っているはずの日本人が、核兵器について黙ってしまったのは、ずい分昔の話である。今、日本人は原発という脅威の核施設について沈黙しようとしている。反原発・脱原発の中で自分だけはその被害からは逃れたいとする、まるで地中モグラの生活に落ち込もうとしている。
福島原子炉包囲網、福島原発行動隊の動きも封じ込められようとしている。
その中で、ようやく福島原子炉の人災根拠が発表され始めている。
所謂人々が、原子炉への興味を失いつつある、この絶妙のタイミングである。
既に事実の捏造は終わったかのようである。
原子炉の耐久性が40年であるのにそれを20年も引き伸ばした、責任は何処に行ったのか。
日本初の福島原子炉の耐久期限が過ぎて、次々と、54機ある日本中の原子炉が耐久期限を切れることに対する危険は更にます。
もともとが、人口密集地での原子炉施設が危険であることを承知で、ましてや日本列島という地震国での原子炉整備は危険と承知の上での原子炉誘致は誰が行ったのか。
日本が世界初の核兵器洗礼を受けた国民でありながら、それを忘却したかのような、原子力利用の拡大は、誰の責任であるのだろうか。
改めて、福島原子炉事故の重大性は見直さねばならない。
この事故の重大さをを拡散させることなく、日本中・世界中の関心をひきつけなければならない。
それは戦争責任という第二次大戦以上の日本人に課せられた課題でもある。
再度、福島原子炉の状況を全ての人々に明らかにすべき時である。
福島第1原子炉4機の現在状況を徹底して公開すべきである。
難しく説明する必要は無い。
4機の原子炉の全体像が、経緯として表現されれば良いのである。
今までにどれだけの燃料が使用され、現在蓄えられているのか。震災でどれだけの燃料が、噴出したのか。
どれだけの放射性物資が飛び散ったのか。
現在の状況で、原子炉はなお反応し続けているのか、その燃料は何時まで反応し続けるのか。
勿論、今後、再度の水素爆発や核爆発が起きる可能性は否定できない。その時の手当ては用意されているのか。
原子炉安定化(暴発阻止)のために、制御、冷却、除染含めて、どれだけの作業を行い、今後どれだけの作業が必要なのか。それには、どのような技術者、作業員がどれだけ必要なのか。
東電は、このことを公開し、全ての国民にそのための動員を要請すべきではないのか。
東電が要請しなくても、全ての国民は、このことへの重大な関心、行動を起こすべきでは無いのか。
もう直にも、3.11以降1年を迎えようとしている。
事態は益々深刻である。

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