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2011年7月30日土曜日

20110729 満田正さんの「福島原子炉包囲網日誌」7/25〜原子力事故損害賠償支援機構法案緊急集会、1961「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」へのコメント

From満田正
日付2011年7月26日7:36
件名福島原子炉包囲網(7/25)日誌


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今日(7/25)は参議院議員会館講堂で「原子力事故損害賠償支援機構法案衆議院に上程されることが先週金曜日に急遽新聞報道され國際環境NGOin Japan(担当者満田となっているが別人、呼び方もみつた)発起人となって、緊急集会が開かれた。私もたまたま「さよなら原発・神奈川 アクション案内板」で見かけ、参加した。M氏から提供さ れた「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」のへのコメントを書いている途中でもあり、原子力損害賠償の実際を知りたかったこともある。
ただ、驚くことには、金曜日の呼びかけ、緊急集会にも関わらず、参議院議員会館はほぼ満席、300名以上の人々集まった。そして、この集会はどちらかというと決起集会(抗議集会)であり、行動提起の場でもあった。アクション(行動)としてはそれぞれが地元出身議員にFAXで法案制定反対の意思表示を行うことを呼びかけていた。
福田健冶弁護士の説明は、この法案が被害者救済に名を借りた東電温存、原発推進の布石であり、空恐ろしい未来が待っていると言うものであった。現在の原子力賠償法を改正し、原子力事故損害賠償機構を新たに設け、そこに政府資金の投入、その負担を原子力発電を行う全電力会社で負担させようとするものである。現在の原子力賠償法では、東電(電力会社)に責任集中されたものをその責任を政府にも負わせると言うもので、当然、裏には東電温存、原子力推進が見え見えである。この法案が、民主、自民、公明の実務者協議で一致したというもので、議員と言えどもまだ誰も知らないものである。確かにこの段階でのアクション(行動)の意味は大きい。
福田弁護士に続く只野靖弁護士はその補足で原子力賠償法そのものが、前文に原子力発電の健全発達が謳ってあり、「原子力事故損害賠償支援機構法案」そのものはその趣旨に乗っているとも言えるもので、法案制定反対の立場に立つには、脱原発の姿勢を明確にすべきであると付け加えた。続いて、会場からの質問では土田敦氏が、今回の事故は東電を含む原子力発電事業者が、コスト削減で色々安全性を無視した結果であり、その責任追及の立場で運動を起して欲しいと発言した。その他に、会場から、いわき市から東京へ命を守るために自主避難しているが、未だに何らの支援も受けていない。問い合わせしようとするもたらい回しであるとの発言があり、弁護士、主催者ともに、この種の声が大きくなることは重要であるとの応答があった。
二部に入り、福島からの被害の状況報告があったが、残念ながらき逃した。東電株主堀江鉄雄氏からの発言で、東電資産を全部売り払っても被害者損害賠償すべきであるとの大きな拍手があった。彼の株数は当初60万円だが、東電の責任に対する株主訴訟を起すと明言していた。会場の別の株主は持ち株当初38万円であるが、それは惜しくないので、東電は倒産するべきだとの意見を述べた。そんな中で、東電社員には給料1ヶ月分のボーナスが支払われたことなどの報告もあった。思えば、いわき市の総会で退職する清水東電社長には9億円の退職金、年俸9千万円の天下り先があるとの発言があったことを思い出した。懲りない東電の姿が浮き彫りだ。その他に、グリーンアクションのアイリーン・スミス女史からの報告で、世界中での原子炉設置マップが地震帯にあること、特に若狭湾に位置する14機もの原子炉は、もっとも危険であり、チェルノブイリ規模の事故では琵琶湖を含む地域がすっぽり被爆圏内に入ることなどが報告された
この間、会場が社民党の福島みずほ名で借りていることでもあり、社民党の吉田国会対策委員長、福島みずほ代議士も短い挨拶をしてすぐに退席した。とにかく、この法案が与野党合意で進められていることに大きな危機がある現状は、与野党議員すら、この法案の実情を知っていない参加した人々は与野党問わず、この法案を廃案にするべく、多くの議員に働きかける必要がある。
私にとって、この動きが福島原子炉包囲網の1つの流れであることを期待した

そこで、タイミングが良く、M氏から提供された大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」について、若干丁寧に読んで見たのでコメントする。福島原子炉包囲網との関係についても触れなければならないが、福島原子炉がまだ終着を見ていない今の段階でも天文学的数字であることは間違いない。所謂、損害賠償抜きの事後処理だけでも100兆円もの予算が必要であることを考えれば、ドイツが第一次大戦時に賠償請求されたことを思い出す。流石に第二次大戦は、アメリカの世界支配という野望の中で、枢軸国ドイツ、イタリア、日本に対する賠償請求権が放棄された。そう言えば、今日の昨日の会議でも福井県若狭湾原子力銀座でのチェルノブイリ級の事故が起きると、460兆円もの賠償総額であるとの見解もあるそうである
今回福島原子炉での賠償請求が起きると、それは未知の世界であり現在の情報公開が、地球上の総ての人々の賠償請求権を喚起する。勿論、この報告書はこうした事態を予想もしない観点で書かれているのであり、ほとんど意味を持たないものとも思う。
この報告書は科学技術庁が日本原子力産業会議に委託した調査「型原子炉の事故の理論的可能性及ぴ公衆損害に関する試算」の結果をとりまとめたものである。この報告書は1957 年に原子力委員会が行つた調査公衆災害を伴う原子力発電所事故の研究」(原題 Theoretical Possibilities and Consequences of Major Accidentes in Large Nuclear Power Plants,(WASH-740)を参考とするが、この参考データが世界で最初とは言え、3年前のことであり、本独自の調査を行なったとしている
まずは、この時点で大型原子炉(発電用原子炉)はどの程度の規模なのかが後でしか述べられていないことは気になるが、公衆への危険の大きさを全体に評価するための4つの本質的且つ非常に困難な問題を解いていかねばならないとしている。
さておき、4つの本質的問題とは
1)分裂生成物が原子炉から放出されて、公衆のいる地域への放散される可能性
2)放散された放射能の公衆地域への分布を決める要素また条件
3)人的又は物的損害を生ずる爆射あるいは汚染の水準
4)万一分裂生成物の放散があったときその結果生じうる死亡者障害者数および物的人的損害額
言い換えると、
1)については、原子炉と公衆のいる地域との遮蔽の問題であり、遮蔽程度の可能性を論じればよい。
2)については、分裂生成物の遮蔽内外の放散分布であり、遮蔽の程度に加えて地象的気象的条件を決定すればよい。
3)については、分裂生成物による人的又は物的損害のまずは可能性そしてその規模を爆者あるいは汚染水準に応じて提示すればよい
4)については、分裂生成物による人的又は物的損害を貨幣価格に換算するればよい
というわけで、4)は重要不可欠であるが、本質的な問題ではない
この問題は、1)の原子炉で生じる分裂生成物の遮蔽技術の問題であり、当時では遮蔽技術がどこまで進んでいるのか、その可能性は、そしてもっとも重要な問題は、今回の福島原子炉事故における遮蔽の可能性すらない事故の起こる恐れがあることである。この遮蔽技術の問題を解くことなしに、2)、3)問題は何らの根拠を失うことになる。当時であろうが、現在であろうが、将来であろうが、この問題は原子力(原子炉を含む)を扱う限り延々と続く。
分列生成物の遮蔽技術について、とにかく放射能とそれを放出する分裂生成物に分けて考える必要がある。
1)放射能については、その威力は生命体への影響が強く、またほとんどの物質を透過してしまうので、その遮蔽の可能性は無いということである。勿論、放射線の種類によっては減衰の著しいβー線もあるが、ほとんどの放射線は基本的には総て物質を透過すると見てよい。私たちは、放射線を強度の遮蔽壁(コンクリート10mとか、鉛版1m)とかで遮蔽する必要がある。勿論、これを実現するとなると、遮蔽壁内での作業は不可能であるに等しい。
2)放射能を放散する物質については、それを運搬するキャリアー、空気中では風、海では海流、後作業する人間とか動植物の動きに拡散されるものであるが、遮蔽すると言うことは、この三つのキャリアを遮断することであり、とにかく、敷地を完全閉鎖する以外に無い。とすると、遮蔽壁内部での作業は可能であるが、とにかく、宇宙船内での作業のように延々と作業者を閉じ込ての作業が必要となる。
以上、遮蔽の可能性についての議論の出発点を提示してみたが、何見てもこれは原子炉建設の実現可能性の範囲ではない。原爆・爆のように人的・物的損害を目的とする場合には、以上二つの条件は無視できる。無視できることが許されている現状こそが問題であるが、原子力の平和利用とは、果たして、この無視するテーゼをどこまで払拭できるかが問題である。
人的・物的損害のために開発された原子力をそれをどのように制御出来るかが原子力平和利用の観点であるが、その扱いはもっとも安全性が高いと言われる医療分野を見ても危険一杯である。そこで、まさに適当ではあるが、分裂の拡散、放射線の放散を前提とした原子力安全施策(原子炉建設など)が実行される。そのために、どの程度の被爆ならば安全かという放射線量を設けることになる。所謂安全基準というわけである。
本報告書がそれを前提としていることは言うまでもない。
第1章では、原子炉の熱出力1W当たり1キュリーの放射能量、際の原子炉は50万KWだとすると、5×10**8キュリーの放射能を出すことになり、人体の許容量が1μキュリーであることを考えれば、如何に甚大であるかが分る。ところが、このように指摘する直後で、「しかし、現在建設中や運転中の原子炉が公衆災害を生ずるような大事故を起こす危険性があるかどうかということは又別の問題である」と言ってのける。
何度も言うが、福島原子炉事故は現実に起きたことであり、「原子炉施設自体の事故を防ぐ安全装置と、炉自体の事故発生防止装置には一応無関係に事故から公衆を防護する格納施設」両方ともが機能しなかったという事態である。そして報告書の書かれた時点で「このような努力の結果、すでに原子炉が開発され始めて以来18年間経った今日、原子力の安全の歴史は、かなり輝やかしいものであると言えよう」と言うのであるが、その前にはイギリスウインズケール事故、その後にはロシアチェルノブイリ事故、アメリカスリーマイル事故、現在の福島原子炉事故というとんでもない事故が起きているのである。当然、この書物の姿勢では現在に適用の価値も無い。
次に示された米英の安全の基準の考え方(平常運転時、緊急事態)についても驚くべき観点である。
1)平常運転時、原子炉からの(大気、地表、地中への)放射性放出物の流れは、敷地境界及びこれより遠い、いかなる地点においても、放射線レベルが連続曝射に対する最大許容量をこえないこと。
2)緊急の事態において敷地境界を超えて放出される放射能の量は、”その発生がありうると信じられる最悪の事故”("Maximum Credible Accident")の場合でも大体において一般人があびる放射 線量は最大緊急許容線量を超えないこと。
としているが、すでに放射線レベルが連続曝射に対する最大許容量」、「放射線量は最大緊急許容線量」とする考え方が採用されているのである。そもそも放射能に対する考え方で「許容量」がいかなることを意味するのか。そこからすでに観点がずれてくる。まずは、現状の技術を駆使して如何に放射能は遮蔽できるかでありその遮蔽後に生じる放射性による人的・物的損害が如何なるものかが問われるべきである。そうでないと、「許容量」の範囲で遮蔽技術を進歩しないままで固定させることすら伴う。
打ち続く原子炉事故の問題点は、遮蔽技術の限界が何時も打ち破られた結果であり、「許容量」そのものが意味を成さないことを示してきた。所謂、原子炉は未だに「許容量」に基づく巨大な社会実験(人体実験に匹敵する)を繰り返しているのであり、ならば、日本列島のように人口密集地では実験できない代物であることが分る。
日本人は、第二次大戦を犯した戦争犯罪人ともされて、広島・長崎原爆投下という2度にも渡る巨大社会実験を経験させられた上に、日本列島全土に渡る原子炉敷設と言う人類史上稀なる社会実験を強いられているのである。間違えば、1億人ジェノサイドになり兼ねない事態さえ迎えつつあるのである。この根拠が訳の分らない「許容量」という概念に含まれる。
例えば、この時に日本原子力発電株式会社が英国から導入する発電炉は、「200キュリーの放射能が数時間にわたつて放散される事故を Maximum Credible Accident(以下 MCA と略称する)さ れる」と想定している。200キュリーとは200Wの熱出力である。勿論、この種の小さな発電炉が導入されるとは予想しがたいし大型原子炉導入の根拠とするには余りにかけ離れている。
ところで、そもそもMCAなる概念は、「反応度事故と冷却能力喪失事故」を想定してのことであるが、どちらも原子炉の暴発の危険性を含んでいるのであるが、それを否定する文面となっている。
米英では「普通の発電炉では炉自体に自己制御性をもたせたり、御捧の引抜に制限装置を附したりすることにより反応度が異常にることを防止するほか、万―或る程度以上の上昇がおこれば種々のスクラムによつて原子炉を急停止するようになつていることを考慮して、 MCA では殆んどの場合反応度事故は取上げられていない」と言うのであ る。これは、反応事故を想定しないと言う極論である。現在、テロもあれば、大地震、隕石落下もある。これは反応度事故を停止できない事態の想定である。福島原子炉は大地震の結果であり、反応度事故の典型である。余りの出鱈目ではないだろうか
次に、「何らかの原因で冷却材で失われたり滅少したりしたときは燃料温度が上昇し、燃料或いはその被服が溶融するおそれがある。多くの場合、 MCA では燃料溶融がおきる場合について解析を行 なつているが、ガス冷却炉ではもともと冷却材の冷却能力が低く出力密度も低いので、冷却ガスがなくなつても原子炉が停止されるかぎりでは燃料がとけるまでに何時間かの余裕があるという理由から英国や前述の原電の場合には MCA とし ては燃料溶融は考えられていない」とするのであるが、これもまた福島原子炉で起きている事態が想定されなかったと言う事例であ。想定されないというよりは想定しなかったのである。
まとめて、「多くの場合 MCA では、(1)何らかの原因で冷却材喪失がおきたとし、炉自体の性質や種々の安全装置の作動によつて原子炉は停止されるものとするが、(2)燃料体中の放射能熱により燃料が溶融したり、溶融しなくとも燃料被覆のピンホールから空気が侵入し燃料を酸化とすることによつて、或る量の放射能が燃料から放出され、(3)コンテナがついている場合はそれからの漏洩、またはコンテナーの破損によつて、前記の放射能の一部又は全部が大気中に放散されるものとしている。原子炉が暴走事故に到る場合をも MCA として考察の対象として いるものもなくはないが、多くの場合以上のような MCA の考え方が取られている」によって示されているように、MCAの概念では、原子炉の暴走事故は想定されないのである。とすれば、MCAの概念は何のために導入されたのであろうか。
本報告書でもこの疑念を述べている。
それではそれはどこまで改善されたのか。「本調査では MCA 以上の規模の事故を対象とすることにしている」「本調査では10**4キュリーをこえる量が大気中に放散される事故を対象とすると言うのであるが、これとて、大型原子炉が10**8キュリー規模であることを考えれば、どの程度の現実性があるかが疑われる。しかも、「WASH には専門家のカンによる確率が非常に幅のある 数字として示されている。これは全く科学的根拠のないものではあるが、だからといつて科学的根拠のある推定は今日では何人もなしえないところであろう」という文書まで参照されるのである。
第2章では、「大型原子炉の事故から生じる公衆損害額の試算」前提条件について述べている。実際には、MCAの概念が曖昧な形で如何して試算できるのであろうかと疑いたくもなるのだが、とにかくコメントに入る。
「その評価はむしろ過少評価の側にあるものといえる。というのも一つには、調査に当然取り上げるべきでありながら諸般の理由で除外した重要な項目がかなり多いことであり、二つには過少評価であることが明らかでありながらデータの不足のため止むをえず採用したデータが少くないことである。前者の例は、人体障害の評価において晩発性障害や遺伝障害を損害試算の基礎において無形財産等をそれぞれ除外したことであり、後者としては人体障害の評価において健康な成人を対象としたことや損害試算の基礎において家計財産や土地面積を過少評価しているのがその例である」と示してあるとおり、「晩発性障害や遺伝障害を損害試算の基礎において無形財産等をそれぞれ除外した」とすれば、現在放射線障害は晩発性障害や遺伝子障害」と言われることを無視したことであり、しかも「健康な成人を対象としたこと」とすれば、放射性障害は胎児や幼児、健康を害している人々への影響が大きいことを無視したことである。それはまさに過小評価の根拠でもあるが、現状から見れば、余りに常識外である。
次に「損害額試算の対象範囲」が述べられているが、「またいずれの場合もすべての項目を算出したのではなくて、終額において占めるとウエイトと資料の信頼性とを勘案して取捨してある。又損害試算に当つては外国領土に及ぶ部分は除外した」についても項目の取捨はウエイトの置き方においてすら難しい問題で、また、外国領土について除外できるかどうか。
また、「典型的原子炉と炉内の分裂生成物の容量」については熱出力50万KWを対象としているので、現状が50万~100万KWの運転が為されていることを考えれば少し小さめである。「本調査の結果は動力炉の場合に最もよく適合するものである。同じ出力であつても材料試験炉の場合は燃料サイクルが短いと想像されるので、放射能内蔵量とその内分けが変ってくる上、燃料の種類、運転方法の相違などによつて同じ放散キュリー数の場合の損害額は若干変動するものと思われる。」としているので、ほぼ現状に当て嵌められる。
次に敷地問題であるが、「原子炉は海岸に設置されるものとし、地境界は炉から800mで、炉から20km、120kmのところにそれぞれ人口10万、600万の都市があるものとする。損害額算出にあたつては、我が国の場合直線距離で1000~1500Mmで外国領土に達することを考慮する。」としているだけでもっとも重要な福島原子炉が恐らく津波でなく地震による被害と定されるのであるが、その地震帯など地勢的条件が敷地問題に取り込まれていないのである。これまた、損害賠償を論ずるには不適切である。
そして、分裂生成物について、「放射能が原子炉から放出されてもコンテナーのような格納構造物中に包含されて直接大気中には拡散されないような事故については、コンテナーからの直接ガンマ線による損害は WASH と同様な方法 で検討した結果、公衆損害は殆んど生じないので取上げないこととし、その際コンテナーから漏洩する放射能による損害のみを取上げることにした」するのであるが、福島原子炉事故では、このコンテナーの破戒が問題であり、その想定無しには評価したとはいえない。しかも、「放散時間については反応度事故を伴うような短時間放出の事故のほか、燃料の酸化、或いは上述のコンテナーからの漏洩などのような比較的長時間にわたる放出を代表する場合として4時間放出の事故を想定して検討してみたが、人体への影響その他を具体的亡検討した結果では両者の影響のちがいは他の要素に比べて小さいことが判明したので、本調査では短時間放出を対象とすることとした」と言うのであるが、福島原子炉事故は、反応度事故として長期に渡っていると想定されるのであり、4時間と言う設定が余りに短すぎる。
また、放出温度は分裂生成物の粒度分布に影響するのだ、「高温(3,000°F、1650℃ ― 格納容器を破壊するに十分な圧力下の蒸気温度の代表)と低温(70°F 21℃ ― 普通の大気温度の代表)とをとつた。粒度分布は直径1μ、7μを夫夫中央値とする2つの分布の場合を考えた。3,000°Fはかなりの高温ではあるが酸化ウラン(UO2)の溶融温度よりは若干低いものであり、粒度分布はそれぞれ煙と工場塵の典型である」としているものの、福島原子炉反応が続く限り、メルトダウンについてはそれ以上の温度上昇も考えられるので、粒度分布についても簡単にはいかない。ちなみに、福島原子炉による放射能灰が静岡県神奈川県にまで飛来していることは厚恩による1μ以下の相当小な粒子分布が存在していることを意味する。
最後に事故による放射性煙霧の分布を決める要因については、最大の要因は地勢条件である。今回福島原子炉事故で、原子炉から50KM以上離れた飯舘村にまで分裂生成物が飛散したことは、地勢的条件が打なることを示している。気象条件にしても、地勢条件とは密接に関係しているものであり、天候、大気安定、霧の上昇の高さだけの配慮で放射性噴霧の分布を予測できるものどうかは疑わしい。実際には、私は青梅市からいわき市にかけての放射線測定を実施した結果、その放射線量の分布は波曲線のように複雑であった。
以上を纏めると、この調査が原子炉発電が始まったばかりの調査であるために、現在のような原子炉事故は想定されていないし、起こりうる事故条件が制限されて想定されているのであり、現在、役立つようには思えない。
昨日行われた緊急集会に見られるように損害賠償は、東電が事故を想定して加入している保険料1200億円をはるかに超えるものであり、それを前提として「原子力事故損害賠償支援機構法案」が衆議院に上程されようとしているのであり、M氏には申し訳ないのであるが、こうした参考資料は害あって益無しではないだろうか。
満田

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