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2011年7月5日火曜日

メモ:20110701 原発関係 「毒物質と毒原子核の違い」「核変換」〜ブログ「アンカテ」より


アンカテ

2011-07-04
ーーー以下一部引用ーーー
原発に関する議論はこうなりがちだ。
A: 常識的に考えて原発はダメだろ
B: いや常識的に考えて原発でいくしかないだろ
A: そりゃおまえの常識がおかしい
B: いや、おまえの常識の方が常識じゃない
議論の座標軸を共有できない人と議論しなくてはいけなくなるのが現代なのだが、特にこの問題はそれが顕著に現れてくると思う。
何が常識であるか、ここでどの常識をベースに考えるべきか。それが原発問題の本当の論点だと思う。
私にとって、原発は何より第一に科学的な問題だ。
つまり、毒物質毒原子核の違いを認識しろということだ。
サリンでもVXガスでも、大抵の毒物や危険物は、分子が毒を持っている状態である。つまり毒分子である。毒分子は、電子を引っぺがして組み替えると、毒じゃない普通にそのへんにある物質になる。電子を引っぺがす手段はいろいろあって、頑張れば大抵の毒分子を無毒化できるし、難しくても集中的に研究すれば、従来の技術の延長、組み替えで対処できる。
それに対して、放射性物質は、毒分子ではなく毒原子核だ。これはその回りにある電子をどういじっても毒が消えない
分子と原子核は、どちらも電子顕微鏡でも見えない非常に小さなものだが、実は両者の大きさは随分違う。分子を東京ドームの大きさとすると、原子核はパチンコ玉くらいになる。パチンコ玉の大きさ・重量のものを引きのばして、東京ドームの大きさのスカスカにしたものとパチンコ玉そのままのものと、破壊する大変さがどれくらい違うかという話だ。
毒分子を壊すのはスカスカの東京ドームを壊すことに相当し、毒原子核を壊すのはそのままのパチンコ玉を壊すことに当たる。
現在の人類の技術は、東京ドームくらいのスカスカのものには手が出るが、その重量がパチンコ玉に集中してしまうと手が出せない。これは単に今すぐできないというだけでなく、当分できない。ちょっとやそっとではできない。毒原子核を壊して放射性物質を始末できるようになるのは、ドラエモンを作るよりずっと難しい夢物語なのだ。
科学の問題として原発を考えると、放射性物質の扱いにくさは、他の毒物と比べて東京ドームとパチンコ玉の違いくらいの差があるという話になる。
ただ、科学が言えるのはここまでで、だから原発をやめるとか続けるとかの疑問には科学は答えられない。
東京ドームとパチンコ玉の違いは、同時に効率の違いでもあって、火力発電と原子力発電の効率の違いも、この東京ドームとパチンコ玉の違いになる。原子力発電は、それくらい扱いにくいものであると同時に、それくらい効率がよいものである。
私が「原発は科学の問題である」と言うのは、「科学的に考えれば原発を止めるという結論になる」という意味ではない。東京ドームとパチンコ玉というたとえ話で今説明した、毒分子と毒原子核の違いについて(その効率の違いについて)、原発について議論する人は理解しておくべきであるということだ。そこを理解してから議論に臨むべきだということだ。
私は困難さの方に着目して止めるべきだと考えるが、同じ科学的な観点から効率の良さの方を重く見る人もいるだろう。あるいは、困難であると理解していても、これをやるしかない、やるべきだという主張もあり得ると思う。
ただ、放射性物質が毒原子核であることを理解せず、ただの毒分子と思っている人には「出直して来い」と言いたくなる。そこを理解してない人と議論するのは時間の無駄だと感じる。
出典:http://d.hatena.ne.jp/essa/20110704/p1

アンカテ 2011-06-15
ーーーー以下一部引用ーーーー
それで、原子力発電所で深刻な事故が起きたケースとして、これが特殊な事例になるかと言うと、そうは言えない。燃料が溶けて燃料棒から出てしまえば、ほぼ必然的にこのような事態になる。むきだしの使用済み燃料には触ることもできない、近づくこともできない。自己崩壊を始めた原子核を無くすることはできないのだ。
研究レベルでは「核変換」という技術があるが、これが実用レベルに到達しない限り、本当の意味での「除染」ということはできない。つまり、全体のベクレルの数値を人為的に減らすことはできない。
「放射能浄化装置」というのは不正確な表現で、原子核レベルでは、何をどうやっても放射性物質(不安定な原子核)が消えることはない。不安定な原子核を含む別の分子を形成しその特性を利用して別の場所に移動することはできる。それは危険な放射性物質を移動しているだけで、ベクレルを減らす技術はまだない
仮に、汚染水を浄化できたとしたら、それは放射性物質が消えたわけでなくフィルターに全部集ったということだ。それができたら(それはそれで凄いことなのだが)フィルターの発する放射線が生の使用済み核燃料に匹敵するレベルになり、その「浄化装置」そのものが近づくことができない危険物質になる。事故の経緯はどうあれ、最終的に撤退して放置に至るというのが、一番蓋然性が高い。
結局、「現実的」に考えると、「核変換」が完成するまでは、原子力発電は到底、完成された技術とは言えないということだろう。
出典:http://d.hatena.ne.jp/essa/20110615/p1
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また、⇩これも参考になりました。
放射性物質とは何か(化学反応と核反応の違い)

この記事を教えてもらったのは、以下のTwで。感謝。

 zamamiyagarei 

神話的自傷行為の当事者としての原発問題 - 
アンカテ: 原発に関する議論はこうなりがちだ。 A: 常識的に考えて原発はダメだろ 
B: いや常識的に考えて原発でいくしかないだろ 
A: そりゃおまえの常識がおかしい B: いや、... http://bit.ly/iANBIY

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